2021/05/17(月)感染力の高い変異株に対する防疫は大変厳しい

8割おじさんが(感染しうる)人出の数を8割減らそうという話をしていたときの計算を、覚えているだろうか。

新型コロナの基本再生産数R0が2.5の時、(感染しうる)人の数が6割減った時、実効再生産数Rtは、2.5*(1-0.6)=1と計算され、この時感染者数は増えも減りもしない状況になるという話だった。そして、実効的に感染者を減らすためには2割余裕を見て「8割」減を目指すという流れで「8割」という数字になった。

で、ワクチン接種(分かりやすいように有効率100%とする)が進んで人口の6割の(2回目)接種が終わると、やはり Rt=2.5*(1-0.6)=1 となることが見込まれ、まずは感染者数が増えなくなる人口の6割接種が目標になるはずだった。が、現状は変異株の出現でヤバいことになっている。

流行中の変異株は、感染性が旧来株より高く、およそ1.3倍ぐらいではないかという話が出ている。さらに変異株は、ワクチンの有効性が低いかもしれないと言われているが、ここではそれは無視して、有効率は相変わらず100%だと緩めに見たとしても、状況は大変なことになっている。

実効再生産数Rtが1になるまでワクチン接種をすることを目標に設定するとして、人口の何割に接種が必要か?変異株の基本再生産数R0'は1.3*2.5=3.25になってしまっている。この時Rtについて試行計算すると、 Rt=3.25*(1-0.692…)=1 となるから、人口の 69.2%≒7割にワクチン接種が終わらないと、感染者の増加は止まらないことになる(外出自粛要請をしてなければ)。

そして、実効的に感染者を減らすためには2割余裕を見なければならないのであれば、ワクチン接種が人口の9割に達しなければ「外出自粛要請は止められない」ということになる。もしも変異株に対するワクチンの効果が、100%よりも小さくなっていれば、状況はさらに厳しい。

感染力の強い変異株への対応策がいかに困難か、上の話から分かるだろう。

2021/04/27(火)人権を抑制せざるを得ない時(個人の行動最適化とシステムの改善が対立するとき)

降水量がとても多い日本では、水害被害対策というのは大事だ。
だから、各個人、家を建てる時には雨漏りしないような屋根や壁を作るし、雪が積もったら屋根の雪を降ろすし、豪雨で川が氾濫すれば避難する。そして家が被害にあえば、(原則としては)自身の家計(保険も含む)で家を修復する。全て各人の選択・判断で、各人の費用負担で。そして、場合によってはそれら対策を「しない」選択もできる自由もある。

ところが一方、川の堤防を増強して、地域社会を広く護ろうとすることについては、国や自治体が決め、費用もそれら行政機構が負担する。そして何より注目すべきは、「地域全体のため」に川沿いに住む個人に立ち退きを要求・命令することもある。立ち退きを求められた人にとっては、そこに選択の自由はない。居住地を奪われるという大きな損失を受忍せねばらない。ただし、全体のために、自由を制限されて、被害を被る人に対しては、当然に金銭的補償がなされなければならない。

ここで整理すると、自然現象による人間生活の被害について、
個々人の予防・被害回避・被害復旧については、個人が自由に選択し、費用負担する。責任も結果も全て個人が担う。
社会全体の予防・被害回避・被害復旧については、行政が選択・決定し、責任を全て負い、費用負担する。そして、その際必要な場合には、個人の自由を制限し、行動を命じ、そしてそれらに対しては金銭的補償をする。当たり前だが極めて「政治的」な問題だ。

ウイルス感染による疫病対策でも同じことだ。個々人の予防・被害回避・被害復旧については、個人が自由に選択し、費用負担する。責任も結果も全て個人が担う。そしてそこに携わるのが医師達。医師は個人の尊厳を常に最大に重要視し、そこから逸脱した言動は慎むよう徹底的に訓練されている。
が、社会全体の予防・被害回避・被害復旧については、行政が選択・決定し、行政が【責任を負い】、費用負担する。これは医療ではなく、公衆衛生の問題。基本的に医師が「携わってはいけない」領域の話。
疫病対策として、基本の形は、「感染の媒介になりうるものは排除」。牛の口蹄疫や鶏の鳥インフルエンザでは、「殺処分」だ。しかしながら、現代社会でそこまで人権無視するのだけは補償で解決するべ問題ではなく、やってはいけないと、(濃厚接触の)人間の殺処分だけは例外的に禁忌になっている。が、ロックダウンだって、水防堤防のための住居立退きと同じように、人権侵害なわけで、それに対する補償がなければ、機能しない。
疫病の検査(新型コロナにおいてはPCR検査)でも、ワクチン接種だって、(個々人それぞれを全力で助ける)医療のためのものと、(社会全体を悪くならないようにする)公衆衛生のためのものとでは、【要求仕様が全く異なる】し、そのためのシステムや体制づくりも全く別のやり方。公衆衛生の政策に、医師や病院の手を借りるとしても、それは本来の業務や倫理からは全く外れた仕事内容になることは明確にしなきゃいけない。「医師が必要」とか馬鹿の一つ覚えのように言ってては全く進まない。

2020/07/19(日)人間パワーの調達に必要なエネルギー

「食品(≠料理)を生産するのに必要なエネルギーは、全て太陽光なのでCO2排出量は0と評価する」という考え方にはあまり同意はしないが、そのモデルについてもある程度は考察はしておくべきだろう。食品生産による排出CO2が0だと考えたら、人間がそれをエネルギー源として食するのに必要なエネルギーについてこれまで無視小としてきたものが無視できなくなるので、一応はこれについて検討しておく必要がある(やっぱりその影響は小さいよねという確認の為)。

私がこれまで自転車走行によるCO2排出について検討している時に、「無視小とした」のは、食品を生産現場から食卓にまで輸送する際のCO2排出と、食品を調理加熱する際のCO2排出である。


【食料運送に必要なエネルギー】

食品を生産現場から食卓にまで輸送する際のCO2排出:生産現場から食卓までの輸送距離は50kmで、全て4tトラックに満載して輸送するものと単純化する。
4tトラックの燃費 5km/L
1kgの積載量では、 5*4000 = 20000(km・kg/L)の輸送燃費

生産現場から食卓に届くまでに平均50km走るとして燃料1Lで届けられる食品重量 20000/50 = 400 (kg/L)

生産現場から食卓に届くまでに平均50km走るとして、食品1kgを届けるために必要な燃料50/20000 = 0.0025 (L/kg)


一日必要食糧(2000kcal分)500g=0.5kgを届けるのに必要なガソリン量は 0.5*0.0025 = 0.00125 (L)=1.24cc

ガソリンの発熱効率 34.5 MJ/L、1 MJ = 0.238 MCalなので、8.211 Mcal/ L、すなわち8.211 kcal/cc。

一日必要食糧 2000kcal分 を調達運送するのに必要なガソリンのエネルギー量は 1.24*8.211 = 10.1 kcal。食糧自体のエネルギーに比して2桁小さい。



【調理に必要なエネルギー】
東京ガスによれば、関東のキッチンにおけるエネルギー消費量は年間2.22GJ/年(4人家族)だそうだ(「家庭用エネルギー統計年報2012年版」では3GJ/世帯・年程度
。東京ガスの言う「キッチンにおけるエネルギー消費」を、調理に必要なエネルギーと考える。

1人・1日当たりで調理に必要なエネルギーは、2.22/4/365 = 1.52 (MJ/人・日)= 0.36 (Mcal/人・日) = 360 (Kcal/人・日)。

1日に食する料理のエネルギー 2000 kcal を調達するのに、 360 kcalの調理のエネルギーを要しているのだと考えると、一桁小さいものの、無視小というほどではない。


【食糧生産におけるCO2排出量再び】

「食品の生産において、そのエネルギー源となるカーボン(C)は、全て植物の光合成由来(動物の食料源は、食物連鎖を辿ると必ず植物になる)だから、食品生産のCO2排出量はゼロと看做し得る」というのは、やや荒っぽい考え方といえる。
実際の農産においては合成肥料や殺虫剤や耕耘や温度管理等において石油由来のエネルギーを様々使う。それらを一つ一つ積算して、農産物生産におけるCO2排出量を見積もっている資料がある。

その資料における米のデータ(米 10kg当りのCO2排出量 12kg-CO2)に着目して、再び人間の一日摂取エネルギーを全て米で摂った場合のCO2排出量を計算してみる。

~:text=%E7%B1%B3%3A1%E5%90%88(180cc)%20150g%E3%81%AE%E6%A0%84%E9%A4%8A%E6%88%90%E5%88%86&text=%E7%B1%B3%E3%81%AF100g%E6%8F%9B%E7%AE%97%E3%81%A7,%E3%81%AE%E9%87%8F%E3%81%AF114.9g%E3%80%82:米 100g 当たりのカロリーは 356kcal

米によるエネルギー2000Kcal分(2000/356*100=561(g))の生産時に排出されるCO2量は、12/10*0.561=0.673(CO2-kg)

自転車での1km移動時の必要エネルギー(26kcal/km)を米で補った場合のCO2排出量は0.673/2000*26=0.000875 CO2-kg/km これまで 0.0220 CO2-kg/kmと推算してきた値と比べると2桁近く小さい。

2020/01/23(木)改正された種苗法のポイント

種苗法について、とてつもなく酷いデマが出回ってるので、誤解を少しは解くべく物凄く粗い説明をば。

人間の役に立つ植物や動物──作物や家畜──は、もはや自然のままの種のものは一切用いられていません。全て「人の手によって」開発された品種・血統のものばかりです。

そしてご存知のように、育ちが速く、病気になりにくく、人間にとってより大きく役立つ(多くのものは、より美味しい)品種を研究・開発するためには、人の知恵と年月とお金とを膨大に使う必要があります。尊大な表現にとれるかも知れませんが、それらの品種は「人の創造性によって生み出された物=創作品」なのです。

しかし、一方、作物も家畜も、同じ品種のものを容易に複製──種や子を沢山増やし、育てる──ことができます。この「複製容易」という点も、(工業化された現代社会における)「創作品」と同じ性質を持つわけです。

人の手によって新しく生み出された価値の高い「種」は、創作品、、、つまり著作物や発明と同じ社会的・経済的位置にあると看做すことができます。

改正された種苗法のポイントは、新しい種苗を開発した人(作者や発明者に当たる人)ないしはその権利継承者(出版社や特許権者に当たる人)の許可を得てしか複製(種苗を育てること)をしてはいけませんという内容にあります。

この狙いは、日本で開発された、優れた品種の植物を、その地域外、特に外国で不正に利用されないことにあります。つまり「海賊版」を許すなってことですね。日本の出版社が主張しているのと同じ話です。

日本国内で利用する分には、開発された種苗を作物として育て、消費するにあたって、ロイヤリティを権利者に払わなければならないわけですが、それは次世代の種を開発される力になるはずで、日本の農業にイノベーションと発展をもたらす仕組みだというわけです。

ここまでが、改正種苗法を決めた人達の言い分。

ただし、外国(の研究機関や企業)──つまり悪名高きモンサント(今はそんな会社は存在しませんが)のようなところが権利を有する種苗を、日本で育成する際には、海外にロイヤリティを支払わなければなりません。悪く言えば、「モンサントの言いなり奴隷農業」をしなければならないわけです。

日本の種苗の権利を保護できるけれど、外国の種苗の権利を認めなければならない、そういう関係において、「日本の権利保護」が日本にもたらす権益と、「外国の権利尊重」が日本から流出する権益と、どちらが大きいのか、本来そういう観点から種苗法は語られなければいけません。

著作権において、日本が輸入超過で、著作権に関わる収支では国外への資金流出の方がはるかに大きいのに、日本の出版社が得ようとしてる小銭話にひっぱられて、著作権保護(期間)を強化してさらに損をする方向に突っ走っている。

それと同様な国益を損なう権利保護策を農業でもやろうとしてないでしょうか。そこを皆さんきちんと考えてください。

2019/03/27(水)「有意性がない」とは

こんな記事が出た
「統計的に有意差がないため、2つのデータには差がない」──こんな結論の導き方は統計の誤用だとする声明が、科学者800人超の署名入りで英科学論文誌「Nature」に3月20日付で掲載された。調査した論文の約半数が「統計的有意性」を誤用しており、科学にとって深刻な損害をもたらしていると警鐘を鳴らす。
「“統計的に有意差なし”もうやめませんか」 Natureに科学者800人超が署名して投稿
物事の真実を見出す科学的な手法は、「仮説を立てて、それを検証する」というプロセスを経て行われる。

その一つのパターンとして、「複数の(観測可能な)パラメータについて、特定の相関関係があるという仮説を立て、それについて統計をとって検証する」という科学的な取り組み方がある。

統計をとった結果、「これはほぼ間違いなく、仮説通りの相関関係があると断定できる」という結論が得られる場合や、「少々怪しい部分もあるけれども、仮説通りの相関関係があると言えそう」という場合や、そして「得られた統計結果からは、仮説が正しいかどうかに関して一切何も言えない(仮説に対してなんらの科学的に意味のあることを見いだせない)」という場合がある。

「得られた統計結果からは、仮説が正しいかどうかに関して一切何も言えない(仮説に対してなんらの科学的に意味のあることを見いだせない)」のパターンが「有意性がない」である。

ちなみに、統計という手法では、「仮説は誤りである」という判断(結論)を出すことはできない。

さて、被爆量が小さいとき(100mSv以下)、放射線被害リスクがどれだけあるかどうかについて、これまでとられた統計からは有意な結果が得られていない。つまり、被爆量が小さいときについて、被爆量と放射線被害リスクとの関係は「科学的には一切何も言えない」のだ。


科学的に何も言えないのに、諦め悪く、被爆量とリスクは比例するという仮説を立てたのが「LNT仮説」である。LNT仮説は何ら検証されていないので、まだ完璧に妄想である。

妄想であるからして、「神様の思し召しで放射線被害が起きる」という言説と、科学的には同じ扱いをせねばならない。なのに、LNT仮説が合理的だとかいうさらなる妄想を積み重ねてる人が山ほどいる。科学者の中にも大勢。

非科学的な妄想がこれほど広がってる状況は大変拙いのだ。

Natureに投稿された署名の主旨はそういう非科学の蔓延に警鐘を鳴らすものだ。

2018/11/21(水)「日韓請求権並びに経済協力協定」に関する文理解釈メモ

日韓請求権並びに経済協力協定(財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)
第二条

1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、<略>完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/A-S40-293_1.pdf
ここで「国民」の意味を検討する。この協定文書において「国民」という言葉は、前文で初出であるが、意味は定義されていない。

日本国における法律上の「国民」の定義は、憲法第10条で「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」としており、法律としては戸籍法によって国民を定義している。戸籍法を見れば明らかなように、「国民」に法人が含まれ得る余地は無い。

日韓請求権並びに経済協力協定の韓国語記述では「国民」は「국민」となっており、韓国においても、この言葉に暗黙のうちに「법인」(法人)が含まれることはない。

さらに、日韓請求権並びに経済協力協定と同時に締結された「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」においても「国民」、「국민」という用語が用いられており、解釈に相違があった場合に参照すべき英文では、"nationals"となっている。"nationals"という言葉も、その意味に「法人」は含み得ない。

ここで、協定文に戻って
「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、<略>完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」
を改めて検討すると、

「財産、権利及び利益の問題」については、「両締約国及びその国民(法人を含む。)」のものについて解決されたものと宣言しており、明確に「法人を含む」としているが、一方、「請求権に関する問題」については、「両締約国及びその国民の間の」としており、文言上法人は含められていない。

従って、徴用工問題のように、韓国国民と日本「法人」との間の請求権問題については、解決されたという宣言は条約上全くなされていない。

“国際間協定の文書において、「国民(法人を含む。)」と一度書いたら、断りがなくても以下全て「法人」を含むのがルールである”という主張は、「日本国とイランとの間の経済及び技術協力協定」のように、「国民(法人を含む。以下同じ。)」と明記している協定文書を反例としてあげることで棄却される。


この協定上、自然人と法人の両方を含む意味で用いられている言葉は、「国民」ではなく、第一条において用いられている「日本人」という言葉である。この言葉は大韓民国に供与する「日本人の役務」という表現で出てくる。この協定の第一議定書の第六条3において、「役務」を行う主体として「日本国の国民及び法人」と言い換えられていることから「日本人」には「国民」と「法人」が含まれていることが確定している。


なお、韓国との条約上、つまり韓国に対しては、「両締約国及びその国民と法人の間の請求権に関する問題」について何ら約束できていなかったことについて、政府はその文理上の不備を知っていたものと思われる

何故なら、国内向け文書である「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」においては、文言を「国民(法人を含む。以下同じ。)」と摩り替えている。韓国とは条約上約束してないないことを、日本国内向けには約束したかのように日本国民を謀ったのである。

2013/02/13(水)求む助言:病院から、患者が昏倒した正確な状況を聞き出す方法

【求む助言】:認知症他の症状でA精神病院に入院していた高齢男性が、一時帰宅から病院に戻った翌朝、病院内で意識を失って倒れ、B脳外科病院に搬送されました。A精神病院は、倒れた時の状況の情報を開示しないため、B脳外科で適切な処置が受けられないまま意識が戻りません。どうしたら良いでしょうか。

男性の肉親に、A精神病院に経緯を明らかにしてもらうよう以下のような質問をリストして持たせました。また、質問へのA精神病院側の回答も、分ってる範囲で載せました。これから今分っている状況が読み取れると思います。
12日の朝、「患者男性」が「倒れて頭を打ち、意識を失っていた」ということで、B脳外科病院に搬送されましたが、その経緯について詳しくお伺いさせてください。

1.薬の処方について
一週間前の(一時帰宅した)週末と、倒れる直前の(再び一時帰宅した)週末とでは、「患者男性」のふらつき度合いが異なるので、「睡眠薬を変えたり、増やしたりしてないか」についてお伺いしたところ、薬の量を変えたとのお答えを頂戴しています。具体的に、2月1日頃の全ての薬の処方と、2月8日頃の全ての薬の処方について、教えてください。

2.「患者男性」のふらつきについて
「患者男性の妻」は、2月9~11日の一時帰宅時に、夜中から午前中10時頃までの「患者男性」の異様な「ふらつき」に不安をいだき、連絡帳にてその旨ご連絡さしあげています。また、看護師の方に口頭でも、その事を訴えた所、「ふらつきが酷いので看護に気を遣う」旨の返答を頂いています。しかしながら、担当医の方からは「ふらつき」については知らないとの旨口頭でお知らせいただいています。「ふらつき」について、どなたまではエスカレーションされ、どの方からどの方への時点で連絡がなされてなかったのか、教えてください。

3.睡眠薬の処方について
2月11日の夜21時ごろ、電話にて、「ふらつきが酷いので睡眠薬を処方しないで欲しいとお願いしてるにもかかわらず、今週末の様子を見ると睡眠薬が処方されてるように思う。睡眠薬の処方を止めてほしい」との連絡を差し上げました。電話を受けた方は看護師の方でした。しかしながら、睡眠薬の話は担当医にも当直医にも伝えられてないとのことを聞きました。「睡眠薬の処方を止めてほしい」との連絡は、どなたまではエスカレーションされ、どの方からどの方への時点で連絡がなされてなかったのか、教えてください。

4.倒れていた時の様子、対応について
「患者男性」が倒れていたのが発見された時、仰向きに倒れていたと聞いています。また、B脳外科病院への搬送理由は、「倒れて頭を打ち、意識を失っていた」と聞いています。具体的にどんな場所で、どのように倒れていたのでしょうか。また、頭を打って意識を失ったことを、どのような所見から診断されたのでしょうか。
⇒回答:頭を打ったかどうかもわからない。(搬送時の説明と異なる回答)仰向きに倒れていたことだけは確か。

5.脳挫傷の場所について
B脳外科病院での診察で、「患者男性」は、(頭の前方やや右寄りを)に軽い脳挫傷を(病院に戻った10日夕方~11日の間に)受けていたことがわかりました。しかしながら、A精神病院病院の方では、その位置に挫傷があることをご存知なかったとのことです。A精神病院病院では、頭のどこを打ったと診察されていたのでしょうか。(仰向けに倒れ、頭を打って意識を失ったという説明と完全に矛盾している)
⇒回答:頭を打ったかどうかもわからない。脳梗塞の既往症があるので、その疑いを持った。(搬送時の説明と異なる回答)

6.痙攣等について
B脳外科病院の診察では、意識を失っている原因は、脳挫傷ではない可能性が高いとの所見で、倒れた時に、(癲癇などによる)痙攣発作などを起こしていなかったかと尋ねられています。
倒れている「患者男性」が発見された時、そのような症状はなかったのでしょうか?
⇒回答:わからない

7.倒れてから発見まで
「患者男性」のいたベッドの下のマットは、足を降ろすと、ナースセンターでコールが鳴る仕組みだと聞きます。「患者男性」が降りて、コールが鳴り始めたその時には、ナースセンターには誰もいなかったために、すぐには気づかれなかったとのお話をいただいています。倒れたと推測される時期から、発見されるまでの時間は、最小どれぐらい、最大でどれぐらいですか?また、どのような経緯で、「患者男性」が倒れている事を、どなたが発見されたのか教えて下さい。
⇒回答:倒れたのは朝5時55分頃と推測されている。救急搬送したのは7時頃、その間1時間は《経過観察していた》。(脳梗塞の疑いを持ちながら、それに対する何の処置もすることなく放置していたということらしい)

8.診療報告書について
B脳外科病院への搬送に際して、B脳外科病院に診療報告がなされていませんでした。これは通常の搬送手続きなのでしょうか。また、B脳外科病院で問われて、A精神病院病院に投薬中の薬を受取に参りましたが、薬は当日処方する予定だったので薬はないとのお話で、投薬情報をいただきました。しかし、処方予定の日であったなら、朝食時の薬は既に準備されていたはずです。その薬はどうなったのでしょうか?
補足:患者男性はB脳外科病院にてCTをとって、意識を失っている原因は、脳挫傷でないこと(、また脳梗塞ではないこと、)が分っています。家族は積極的な治療を望んでいないので、開頭手術したりする選択肢はとられません。

現在の所、患者男性の意識は戻っていません。また、原因が分らないので、その処置方法も確定していません。

A精神病院は倒れた状況について、明らかに何かを隠しているとしか思えない対応ですが、処置に必要な情報を引き出す手だてはないでしょうか?あるいは、患者男性が倒れた理由について、何か仮説とその検証方法はあるでしょうか?

twitterで@akof宛てメンション頂くか、Facebookの http://www.facebook.com/home.php#!/ako.fujiwaka/posts/457412654324112 にコメントいただけると助かります。

2月14日追記:倒れてるのを発見してから搬送までの空白の1時間について、A病院からは相変わらず辻褄の合わない矛盾した回答しか来ません。
ですが、一方、患者男性の意識障害はJCSⅢからⅡのレベルまで回復し、A病院から情報開示されなくとも、なんとかなりそうな進展になってきました。コメント、助言を頂いた方には御礼申し上げます。

2012/12/29(土)自衛

米国の銃規制反対派の「論理」は、日本人から見て奇妙だし、合理性は見いだせないのだけれど、その珍妙(に見えるよう)なものをそれでも掲げる根底にある心理は、ある程度コチラからも想像しうるのではないか。

それには、ちょっと別の話から始めたい。

自転車で走行すべき道路を、歩道から車道に変えるという制度変更案が持ち上がった時、多くの自転車ユーザが反対した。

自転車の深刻な事故の殆どは、対自動車の事故だ。そして、それら対自動車事故の大半の第一当事者は自動車側、つまり自動車の側に主たる事故原因がある。なのに被害者は間違いなく自転車ユーザだ。

この状況で自転車の走行路を車道にする制度変更をすれば、自転車の対自動車の事故は増えてしまうだろう。自転車ユーザをより危険に陥れるような制度変更は許されないというのが、走行路変更に対する反対の理由だ。

ところが、この合理的に見える制度変更反対の論拠には、確実でない所もある。例えば「自転車の走行路を車道にする制度変更をすれば、自転車の対自動車の事故は増えてしまうだろう」という推測は正しいのだろうか。海外での類似制度変更事例をあたると、「細い道から優先道路に(よく確認せずに)出てきた自動車が、優先道路を走る自転車を(側方から)撥ねる」事故が、制度変更によって減少し、全体としては「自転車の走行を車道にする制度変更をして、自転車の対自動車の事故は減る」という場合も見つけることができる。

そこで自転車ユーザに、もし「自転車の走行を車道にする制度変更をして、自転車の対自動車の事故は減る」のなら、制度変更に賛成するかと訊ねてみると、多くの人は、それでもやっぱり制度変更は受け入れられないと答える。

何故受け入れられないのか、突っ込んで話し合ってみると、次のような感覚が明らかになってくる。

「細い道から優先道路に(よく確認せずに)出てきた自動車が、優先道路を走る自転車を撥ねる」事故というのは、自転車の運転者がよく注意して走行していれば、避けられる(ような気がする)。だから、歩道を走っていても、自分はその種の事故から自衛できる(はず)と考える。例えば、保育所に子供を乗せて送り迎えするお母様がたは、「しっかり注意して走れば子供を守ることができる」と考えるのだ。

一方、自転車で車道を走るようになって、最も恐ろしいのは、後ろから走ってきた自動車にひっかけられる事故だ。これは自転車側がいくら注意しようとも絶対避けられず、自衛の手段が全くない。お母様「どんなに注意しても、子供の命を全く守れない」と感じる。

自衛の術が全くないリスクを、被害者になるはずの人々に、新たに一方的に押し付ける制度変更には、強い抵抗があるのだ。

さて、ここで銃規制の話に戻って考えてみよう。

米国民は、「暴力に対して自衛する、できる」のが当然と考え、その環境を求める。だから連邦憲法でも、銃の所持を権利として求めているのであろう。

銃規制に反対するのは、「銃での暴力に、どんなに自衛しようとしても、全くその術がなくなるから」と感じてるからだろう。これまで、銃乱射事件が起きる度に、銃規制よりも、銃規制緩和の声がより大きかったのもそういう事情だと思う。

今回、多数の幼い子どもたちが、銃乱射の被害に遭う事件が起こった。子どもたちは、たとえ銃が手元にあっても、それを用いて自衛することなどできない。だから「自衛」を理由に銃を誰もが持つような制度は良くないと、銃規制派の声が大きくなった。しかし「子どもたち」は、親や教師や学校が「自衛」すべきだと考える人達もなお大勢いるわけで、だから銃規制反対派もこれまで同様、いやさらに今までより声を大きくして、自衛できるように教師に、学校に銃を配備せよと説くのだろう。


私は日本の「銃が規制されているからこその平穏」を長らく享受してるから、やはり米国の銃規制反対については不合理にしか見えないが、その心情のよって来るところは、少しは想像できるように感じている。

2012/11/07(水)「研究」を一般人に伝える技術

科学報道に大切なこと http://d.hatena.ne.jp/horikawad/20121105/1352067625

を読んだ。プロフィールによればこのエントリの著者は研究者だとかで、なるほど研究者視点、あるいは技術者視点としては良いことを言っているとは思うが、それでも「この人全然分ってないな」の感は拭えない。

が、人の論評をうじうじ批判してるだけはつまらないので、元ネタの立命館大 スポーツ健康科学部の吉岡伸輔助教の筋力余裕度計を、科学技術に興味の無い一般人にどう伝えていけば良いか、その方針を検討してみたい。

一般の人が「研究」に対して示す、最もシンプルな興味の向け方は「それ、何の役に立つの?」という実応用についてだ。技術応用が想定されている研究ならば、その視点で研究成果をとりあげるのが最も伝えやすい。

研究を「技術応用」の方向から記述することについて、実はその専門分野がある。特許だ。だから、研究成果についてどのような特許がとれるかという方向性で理解を進めると、文章化の時に既に頭の中で整理された状態になっている。もちろん特許願書を書くのではないから、「請求の範囲」の枠組みに押し込めようとする必要はない。

立命館大学は、産学連携や研究の産業応用について熱心で、その専任スタッフも充実してる。だから、筋力余裕度計の話も、「立命館大、しゃがみ姿勢から立つだけで「筋力余裕度」を測れる測定器を開発」の記事( http://news.mynavi.jp/news/2012/08/07/131/index.html )を見る限り、産学連携部門のスタッフの助言からか、あるいは応用を常に考える学風として根付いているからか、技術応用を念頭に置いた方向にある程度話が整理されて説明された形跡が見て取れる。この「整理されたところ」を骨格として捉えればよい。

この研究成果の話がなされた時に、先生がどんなに専門分野について難しいことをとうとうと喋って脱線していたとしても、話の骨格さえはずしていなければ、何ら難しいところはないはずだ。

重要な点は2点。

1.制限少なく、正確な筋能力を測れること。
「制限少なく」とは、被測定者の能力や状態によらず、被測定者に傷や大きな負荷を与えることなく、短い測定時間で、小さくシンプルで耐久性のある安価なデバイスで測れるということ。
「筋能力」とは、測定した時に筋肉が出力する「力の大きさ」ではなく、筋肉がどんな力を出す「能力があるか」のこと。

2.筋能力の評価指標として、利便性の高い「筋力余裕度」を採用したこと
能力の評価方法には色々選択肢が考えられ、例えば「力の単位」を持つ絶対値を使う方法もあれば、年齢、性別別の筋力分布に対する平均値や偏差値などを使う方法もありうる。
しかし、この研究成果では、介護の要/不要の境目になる筋能力を100%として、介護が必要になるまでに「どれだけ余裕のある筋能力か」という指標を用いている。
筋能力を正確に測りたいニーズとして、「要介護状態の切迫度を知りたい」というものが最も大きいだろうという判断があったのだろう。だから応用の方向をそこに見定めて「筋力余裕度」という指標を採り、測定計の名前にまでそれを採用して応用可能性の高さをアピールしている。

この2点さえ外さなければ、研究者側から見て最も伝えたいアピールポイント部分を捉え、読者側から最も興味持てるような表現で伝えることができるはずだ。

「(難しい)研究」を、一般人に「わかりやすく」伝える,科学報道に大事なこととは、こういう作業ではないだろうか。

2012/10/28(日)レビュー iPhone用「歩数計」

iPhoneのような「尖った」設計のデバイスやサービスは、そのデバイスやサービスならではの利用法が見いだせなかったらタダのゴミである。

この小さくて軽くて携帯性の良いデバイスには、時計、GPS、加速度センサー、コンパスなどの高性能センサー類、グラフィカルな表示に適した(デバイスの大きさに比して)大きな画面、豊富な計算リソースが搭載されている。
私は自分の生活を考えた上で、iPhoneのこれら機能を活かせる使い方いは、高性能歩数計としての利用法があるのではないかと考えた。そこで、AppStoreで「歩数計」で検索してiPhone用歩数計をいくつか試してみたので、ここでそれをレビューしたい。

実際にインストールして試したのは、全て無料で使える
の計11種類である。

結論から言うと、満足に使えるものは無い。それは無料アプリで機能が削られているからではない。上で試した無料アプリにある問題は、有料アプリでも全く同様である。

では、「歩数計」の問題を傾向別に分けていこう。

1.設定ができず、使用に至ることができないもの

文字通り、使い物にならないものである。
  • 《健康増進アシストサービス》:インストール後の起動画面で「ログイン」ボタンだけが表示されるが、全くログインできず、そこから全く進めない。
  • 《gooからだログヘルスアシスト》:初期設定で、必須入力項目である身長を入力するとアプリが必ず落ちてしまう。実はこれは回避方法があって、「gooからだログヘルスアシスト」のウェブページで自分のアカウントを作り、ウェブ上で身長などの設定をすれば、使えるようになる。
どうやらリリースされた当初は問題なく使えたようなのだが、恐らくiOS 6になってから問題が発生し、なおかつアプリ作成側がどこに問題があるか気付けていない様子である。レビュー欄では「使えない」との怨嗟の声が溢れている。Appleの審査があっても、こんなのが素通りするのであるから、ユーザとしてはそれを信用しきってはいけないことがわかる。正直、この体験でiPhoneにちょっと幻滅した。

2.バックグラウンドで動作させられないもの

歩数計として動作させてる間は、他のアプリの操作ができない。歩行(セッション)開始時にスタートボタンを押し、歩行(セッション)終了時にストップボタンを押して終了させなければならない。また、万歩計として歩行を感知しやすいだろう尻ポケットなどに入れて歩いていると、フォアグラウンドで動作し続けているので、ポケットの中で知らないうちにボタンが押されて意図せぬ動作をしてることがある。勝手にセッションが終了していることすら稀ではない。
  • 《MyStep》:使いやすいとはとても言い難い。すぐにアンインストールしてしまった。
  • 《walkiNavi》:歩行セッションの軌跡を地図で見ることができる。歩いている最中に音楽を聴けるのがウリ(私は音楽を聴かないので、使い勝手は不明)
  • 《距離も分かる歩数計 runtastic》:セッション途中の「歩行速度」の変化をグラフィカルに表示してくれる。実はこの「歩行速度」と称してるものの実体は「(計測した)歩行ピッチ」☓「設定入力した歩幅」であって実際の歩行距離ではない。むしろ「歩行ピッチの変化グラフ」というべきものである。ただ、この「歩行ピッチの変化グラフ」は他に無い機能で、非常に有用である。なお無料版は「ちょっとしたお試し版」という位置づけらしく、機能の制限も多く、また有料版への移行を促すアレコレがしつこく表示される。
3.バックグラウンドで動かすことはできるが、その結果「歩数計」の機能が無くなっているもの

2の不便を解消させることができるが、「歩数計」を求めていたはずなのに、手にしているものはもはや歩数をカウントしないという……
歩行を感知するためには、加速度センサーを用いなければならないのだが、加速度センサーはフォアグラウンドで動作しているアプリだけが利用できるというiOSが課した制限があるようだ。そのため、バックグラウンドで動かせるようにするために、GPSで歩行距離を測り、歩数は「歩行距離」÷「設定入力した歩幅」で代用するという「紛い物」である。歩数計を謳ってなければそれでもよいのだが、なまじ「歩数計」のような体裁をしているから悪質である。下手をすると、自動車に乗って移動しただけなのに「1万歩達成!」などと表示されることもある。
  • 《お父さん歩数計》:シンプルな作りで、セッション毎の歩行距離と時間を記録できる。使いやすい。
  • 《健康増進アシストサービス 》:個人情報が何に使われるのか分からないのでちょっと不安。日毎の歩行セッションを記録でき、それらをグラフィカルに眺めることができ、ツイッターやFacebookに投稿することもできる。歩数計のみならず、食事管理の機能などもついていて、朝昼晩とご飯を食べたかと質問する等「きめ細やかな」お節介をしてくる。歩行セッション以外の時にも24時間動作し続けているので、電池を激しく消耗する。
  • 《永久不滅WALKER》:個人情報が何に使われるのか分からないのでちょっと不安。歩行セッションを記録する以外に、24時間歩行測定し続けてくれていて、毎時間の歩行距離もグラフィカルに表示させることができる。「今から歩くぞ」「今歩き終わったぞ」と一々ボタンを押すこと無く計測してくれる。加速度センサーを使ってはいないので、歩行を検知してるわけではないのだが、乗り物に乗っての移動などの大半は歩行距離にはカウントされない。恐らく40km/h以上になったら「歩行ではない」と判断するなどしているものと思われる。24時間動作し続けているので、電池を激しく消耗する。とにかく「一日の歩数」で健康管理したいという人には、この永久不滅WALKERがイチ推しである。
4.バックグラウンドでも歩数カウントできるが、歩行距離が測れないもの
記事をアップした当初は、「2.バックグラウンドで動作させられないもの」に入れていたのだが、指摘を受けて再調査したところ、バックグラウンドでも歩数カウントできる事が明らかになったので、修正して新たに項目立てした。
  • 《Walker-歩数計Lite》:シンプルな作りで、歩数カウントも正確である。日毎の歩行セッションを記録でき、それらをグラフィカルに眺めることができ、ツイッターやFacebookに投稿することもできる。ただし、GPSは用いておらず、歩行距離は「計測した歩数」☓「設定入力した歩幅」で表示されている。したがって振動しただけでも「歩いた」と計測されてしまう。
5.歩数計を謳ってはいないが、歩行距離計としては対応してるもの
  • 《Nike+Running》:セッション途中での歩行速度の変化を地図上、あるいは経時変化グラフで表示してくれるので、自身の歩法を研究、向上させたい人にはうってつけ。但し、単位を設定してもなおキロメートル表示とマイル表示が混在してしまうので、その点は非常にわかりにくく使いにくい。
  • 《RunKeeper - GPS Track Running Walking Cycling》:セッション途中での歩行速度の変化を経時変化グラフで表示してくれる。が、何故か折れ線ではなく棒グラフで、それがとても見にくい。
  • 《runtastic》:距離も分かる歩数計 runtasticと同じ会社作成のアプリ。有料版への移行を促すアレコレがしつこく表示されるのも共通。多機能だが、設定箇所があれこれありすぎて少々使いにくい。セッションの軌跡を地図表示する他、その経過の歩行速度変化と高度変化を同じグラフの上で表示できる。
runtasticをバックグラウンド、距離も分かる歩数計runtasticをフォアグラウンドで2つのアプリを同時に動かすことができるが、距離も分かる歩数計 runtasticの「歩行ピッチ変化」と、runtasticの「歩行速度変化」「高度変化」を合わせて見ると、自身の歩行の様子を多角的に検討できる。またruntasticはiPhone用の心拍計を繋いで同時計測・管理することができる。私自身は今後暫くこの2つのアプリを組み合わせて使っていく予定だ。もし気に入れば心拍計も追加するかも知れない。


iPhoneの素晴らしいハードウェア機能を活かしきれる「高機能歩数計」は、残念ながら無い。いくつかの不便を我慢しながらということになりそうである。