2012/10/12(金)独立行政法人日本スポーツ振興センター災害給付制度

学校内の「事故」に対して、「救急車を呼ばず、警察にも連絡しなかった」という事案がについて、教育委員会が学校をけん責し、学校が謝罪しているのが今日話題になっていた。

そういう「学校内の事故」について、もうちょっと即物的だが、あるいは「大事」な事について書きたくなった。というかちょっと憤慨する話があったので、ここで垂れ流したい。

まずは背景説明

学校内の生徒の事故――もう少し正確な言い回しをすると、児童生徒等の傷病・被災について、その原因である事由が学校の管理下において生じたものについて、医療費用ないしは死亡見舞金が支払われる日本スポーツ振興センターの災害共済給付制度というのがある。

https://naash.go.jp/anzen/saigai/seido/tabid/76/Default.aspx

「学校の管理下」というのには、「登下校中」も含まれるし、それと、「傷病被災が学校外であっても、その原因が学校内の出来事が主因であるような場合」も含まれる。

……勘の良い人なら気づくであろう。後者は「いじめ」を苦にした自傷などに適用される。実は、この給付制度は当初自殺など「故意によるもの」は対象外であったが、平成19年から自殺も給付の対象になった(但し、高等学校の生徒及び高等専門学校の学生の自殺は給付対象に含まれない)。

気を留めておいて欲しいのは、登下校とは無関係な学校外の場所で、「いじめ」とは無関係な自殺は、給付対象外であるということだ。つまり、自殺したけれども、学校がいじめがあったと認めない場合には、見舞金1400万円は給付されないということだ。(拝金主義的な話で申し訳ない)

また、この給付制度の対象となるような事故・傷病・災害があった時には、報告書を学校が起案して教育委員会に送り、教育委員会がとりまとめて日本スポーツ振興センターに届ける。事故から約2年の間に請求が日本スポーツ振興センターに届かないと、時効になって給付金支払の対象にはならなくなる。

さて、私の聞き及んだ話はここから。なお、伝聞なので不正確なところも多いかと思うし、決して一般化できるような話でもない。

ある事故について、災害共済給付について何の動きもないことに不審を抱いた父母のクレームがきっかけで事は漸く動きはじめたらしい。時効ギリギリの災害共済給付請求が日本スポーツ振興センターにいくつか届いた。

スポーツ振興センターは、死亡事故や重大事故いついては、改めて学校や関係者に聞き取り調査を行うことにしている。そしてある学校への聞き取り調査最中、学校側に「何故こんなぎりぎりまで請求を出さなかったのか?」と尋ねた。その質問は、学校側にとって驚きのものだった。というのも、請求のための報告書は事故後直ちに教育委員会に送っていたからだ。

そこではじめて、教育委員会は災害共済給付請求を大量に溜め込んでいた事を白状したらしい。溜め込んでいた請求のうち、時効ギリギリのものからスポーツ振興センターに送っていたようだ。よくは分からないが、ひょっとして時効になってしまっていた事例も実際にはあるのかも知れない。

その教育委員会の担当課、少人数でやっていたらしい。その担当課の責任者の弁明が酷いのだ。まず、災害共済給付請求を大量に溜め込んでいた理由を、担当者が病気になったからだと言う。一人が病気になったからといって「気づかずに」そんなに貯めこむのはオカシイ。

すると、担当者が以前から溜め込んでいたのだが、それを責任者にずっと隠していて、病欠したことで溜め込んでいたことが明らかになったのだと言う。そんなに溜め込んでいるのに気づかないのって管理責任を全く果たして無いのではないか。

すると、その部署は少人数で、なおかつその病欠した人以外の実働は、聾の人なので、仕事が回らないのだと言う。ちょっと待った。「聾の人なので、仕事が回らない」?聾であることが、仕事が回らない理由になると思ってるのか?

実は、私にその話をしてくれた人も、「聾の人なので、仕事が回らない」のところで丸め込まれてしまっていた。聾の人でも書類作業はできるのだから、病欠の人だけに災害共済給付請求作業を割り振っていた管理にこそ責任があるはずなのに、それには気が回らない様子だった。というか、管理者というものは、そういう仕事の割り振りこそ最も重要な仕事であって、聾であることが不利にならない仕事分担を(動的に)行い、組織全体で効率的に作業をこなして結果を出すように体制を管理しなければならないのだ、という事をいくら説明してもまるで理解してくれなかった(私の憤慨ポイントはここらへん)。

まぁ最後の段落の話は兎も角、某教育委員会は、被災した人への給付金交付について怠慢していたことを、学校の責任にし、病欠の人の責任にし、聾の人の責任にし、と全く反省のない責任転嫁の権化であるということを知ったのだった。

まぁこれぐらいで勘弁してやるか。>某教育委員会

2012/10/02(火)「考えを改める」条件

虐めにしても、子供の虐待にしても、大抵やってる方は正しいことをしていると信じていて、それは信念や宗教に近い。そしてそれを改宗させるのは難しく、刑罰ぐらいでは変わることはまずない。何故なら、強いて改心させるのは、自己否定あるいは精神的自殺を強要することに他ならないから。

「痛い目に遭えば考え方を変える」という事が起こるのは実は稀なことだ。痛い結果を引き起こさない防衛策として、最もコストが低く確実なのが「考え方を変えることだ」と自身で納得できる場合以外にはその選択をとらないからだ。例えば多くの人は、「自分の考え方を改める」より「やり方を変えずに、かつ見咎められないようにする」方がコストが低いと直感的に判断してしまう。勿論、もっとコストが低いと思う選択肢を自身え見出した人はそれを選ぶが。

手に持っていた重い物を、自分の足の上で手を離して、果たしてその重い物が足の上に落ちて「痛い目」に遭った場合。自分のした事と、痛い事の因果関係は極めて直結的で、他に介在するものがない。そのような場合には、人は自身が悪かったことを認め「もう二度と自身の足の上で持った物の手を離さないようにしよう」と考えるだろう。

ところが、手に持っていた重い物を、他人に手渡そうとして、渡すべき手が近づく前に自分の足の上で手を離して、果たしてその重い物が足の上に落ちて「痛い目」に遭った場合。自分のした事と、痛い事の因果関係の間に、他人の行為が介在する。そのような場合には、人は自身が悪かったとは往々にして認めることはできず、「受け取るべきその人が悪い」と考える。そして、「次はしっかり受け取れ」と他人に転嫁してしまう。

「(たとえ「義」があっても)他人に暴行を加えたら、刑罰を受ける」は、因果関係だが、自身の暴行と受ける罰とは直結していない。「暴行を知られる」「義を認めてもらえない」「捜査を受ける」「裁判を受ける」等々多くの介在事項がある。そのような多数の介在事項がある場合、人は、自身の考え、行動原理の過ちを認めて変えることより、介在する何かに原因を求め、その「原因」を排除できさえすれば、「痛い目」対策はできると考える。

ここで留意すべきことが一つある。「痛い目」の度合いが大きくなっても(刑罰がより重くなっても)、何が「原因」として選ばられるかにはさほど影響しないのだ。虐めや子供の虐待に対する刑罰を重くしても、それをする人は自身の考えや行動原理を改める方向にはあまり向かない。

虐めや虐待を見つけ次第、立件し、重罰を与えるようにすれば、恐らく虐めや虐待は「減る」だろう。しかし、それは「認知されなくなった」だけだ。重罰を避けるために選択されるのは、「正義の鉄拳」や「躾」を止めることではなく、見咎められなくすることだからだ。

2012/06/08(金)日本に原発が導入された理由は?

原発事故後「一切何にもしようとしない」事については怒りを禁じ得ないが、「現状の有り様の説明」としては今日の首相会見は(強弱はともかく)言うべきことは概ね言っていたように思う。

一つ、忘れられていた、ないしは隠されてきた重要な言葉が漸く出てきたと評価している。それは「石油ショック」だ。原子力発電は、石油ショックのリスク緩和として日本に導入されたと考えてよいと私は考える。

日本のGDP推移.gif

出典:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4400.html


日本は戦後3回の重大な経済危機を経験している。石油ショック、バブル崩壊、リーマンショックである。経済指標で見る限り、東日本大震災の影響はこれらのような危機とは比較にならないほど小さい。3回の経済危機の中でも、石油ショックは日本崩壊の危機を国民全体津々浦々にまで思い知らせた事件だった。中東の石油に大きく依存していた日本は、中東のゴキゲン一つで国が簡単に吹き飛んでしまうことを知った。石油価格の変動に余りにも脆弱だった。

そこで日本がそのリスク緩和としてとったのが、燃料備蓄策である。中東情勢による原油価格の短期的変動を、燃料備蓄という緩衝機構でリスク軽減しようとしたのだ。しかし石油は備蓄には向いてない燃料で、保存に不安定な液体で、嵩高く、そして爆発危険が大きい。一方、原発燃料は、保存に安定な個体で、嵩は小さく、そして分散して保管すれば発火(広い意味の)危険はない。原発燃料の、発生エネルギー当たりの重量が小さい事がやたら盛んに宣伝されてきたのは、備蓄に向いている、日本経済の安定化に大きく寄与できるからである。採掘や運搬のコストの問題ではない。


今でも石油備蓄量は、民間が国内消費量の約80日分、国が約90日分で半年に満たない。一方、原子力燃料備蓄は約2年あり、中東などの局所情勢の短期的な緊張が日本のエネルギー供給に及ぼす影響は抑えられている。

但し、この石油から原子力へのシフトの原動力なったと思われるこの理屈はかつては正しかったが、今はもう正しくない。今では燃料価格変動の周期は石油ショックの頃よりずっと長くてこれらの燃料備蓄期間では足らないし、そして石油価格トレンドと原発燃料価格トレンドは並行して動くようになってしまっていて、原発があるから石油ショックのようなリスクは二度と無いとは言えない。

しかし、原発が今ここにある理由は、世界的な燃料価格変動によって日本経済が完全崩壊するリスクを軽減するためであるから、事故リスクと比較参照すべき数字に、日本経済完全崩壊リスクがあることは間違いない。これを無視して原発を語るのは正当ではないと私は思う。

2012/04/25(水)妄想近未来『電力』ニュース

太陽光発電.jpg

【妄想近未来『電力』ニュース】

昨日の昼頃起こりました一般家屋火災の続報が入って参りました。まず、消防の調べによると、昨夜までの発表では火災の原因は漏電ということでしたが、今日になって新たな事実が判明しました。

当初の現場検証では、太陽光発電の売電用のメーター付近が最もよく燃えていることから、太陽光発電パワーコンディショナーなどからの漏電が疑われていました。しかし、詳しい調べでは屋根上に設置されていたのは、太陽電池モジュールの模型で、実際は黒く着色されたプラッチック板であることが明らかとなりました。

実際には太陽光で発電は行われておらず、密かに一般電力線から売電用メーターへ電力が引きこまれており、電力会社からの安い電力を取り入れ、太陽光発電した電力として高額で売電されていた実態が明らかになりました。

警察の調べによりますと、この家屋の住人達は、太陽電池パネルが偽物で、一般電力線から密かに電力を取り込まれていたことに知らなかったと主張しているとのことで、不当に「太陽発電電力の売電」で利益を得たことについて否認しているとのころです。住人達はまた、「太陽電池システムを購入した当時は、本物の太陽電池モジュールが設置されていた」と主張しているとです。

そのことから、警察では、太陽電池システム納入業者が、一度収めた太陽電池モジュールを密かに偽物のプラスチック板にすり替え、太陽電池モジュールを高額で転売していたものと見ています。この家屋にシステムを納入した業者は既に解散後で、当時の経営者や工事担当者とは連絡がつかないとのことで、警察では計画的な詐欺事件の疑いもあるとみて捜査を進めています。
同じ「電力」を、「どうやって発電したか」で違う価格付けをするというのは極めてナンセンス。電力としては発電方式に関わらず同じ価格で買取るべきだ。

一方で「安全性」の違いの考慮については、保険加入を義務付けるなどして均衡を図るなどの方法が考えられる。
7月に始まる太陽光など再生可能エネルギーの全量買い取り制度の詳細を議論していた経済産業省の「調達価格等算定委員会」(委員長=植田和弘京都大学教授)は25日に開いた会合で、電力会社による電気の買い取り価格案を議論した。最終的な結論は持ち越したが、植田委員長が会合終了後に記者会見して委員長案を公表。太陽光発電は1キロワット時あたり税込みで42円(出力10キロワット以上)。風力は同23.1円(出力20キロワット以上)とした。

<略>

委員長案では、地熱発電は1キロワット時あたり税込みで27.3円(出力1.5万キロワット以上)、中小水力は同25.2円(出力1000キロワット以上、3万キロワット未満)。バイオマス(生物資源)は種類別に定め、リサイクル木材の場合で同13.65円とした。

 買い取り期間は地熱発電を15年、それ以外は20年にした。住宅用の太陽光発電は全量買い取り方式ではなく、余った分だけを買い取る現行の「余剰電力買い取り制度」を維持する。
参照:太陽光42円・風力23.1円 再生エネ買い取り価格案 2012/4/25 12:52

2012/04/13(金)リモコンのデザイン

カメラのイラスト.JPG

67個のボタン、継ぎ足されて、さらに25個のボタン。合計92個のボタン。

別に、飛行機を飛ばしたいわけではない。
単に、テレビ番組を録画したいだけである……。
「ガラパゴスリモコン」が示す日本のもの作りの限界~リモコンで飛行機でも飛ばしたいの?~
という記事に触発されて。

思考実験の題材として、昔の一眼レフカメラを遠隔操作できるようにするリモコンを考えてみよう。

まず、
  • 1.レンズキャップの付け外しボタンが要る。
(こら、笑うな!)
  • 2.フィルム換装ボタン
  • 3.フィルム開始位置までの巻上げボタン、フィルム送りボタン、フィルム最終巻取りボタン
  • 4.照度計(照度計の位置・方向設定)
  • 5.フラッシュバルブ換装ボタン
  • 6.レンズ選択換装ボタン
  • 7.絞り設定
  • 8.シャッター速度設定
  • 9.焦点設定
  • 10.フレーミング設定系(ズーム設定+カメラの向き(上下左右))
  • 11.カメラ位置設定(上下、左右、前後)
それと最後に
  • 12.シャッターボタン
である。

一応、ユーザに、要求を聞いてみよう。
「遠隔操作できるカメラを作ろうとしてるのですが、カメラに何を望みますか?」
『綺麗に写せるカメラだったら何でもいいよ』
「え?それだけですか?」
『え?それ以外に何か要るんでしょうか?』
「要求仕様は“綺麗に写せるカメラ”ですか」
『ええ、“綺麗に写せるカメラ”です』
困った。要求はシンプルなのに、設計してるリモコンは超複雑だ。これでは使ってもらえそうにもない。

ところで、現在の高性能コンパクトデジタルカメラを遠隔操作しようとしたらどうなるだろうか。
  • 1.レンズキャップ付け外しボタンは要らない。代わりに電源ON/OFF(レンズカバーの開閉連動)操作のボタンを検討しなければいけないが、リモコンにタッチセンサーを付けるなどして操作不要にすることはできる。
  • 2.3.フィルム操作系は一切要らない。撮った映像データはサーバ等に自動転送することもできる。
  • 4.照度測定-絞り設定は自動化できる
  • 5.フラッシュ設定も自動化できる
  • 6.レンズは換装しない
  • 7.絞り設定も自動化できる
  • 8.シャッター速度設定も自動化できる
  • 9.焦点設定も自動化できる
  • 10.フレーミング設定系(ズーム設定+カメラの向き(上下左右))は要望があれば付ける。(省略する考え方もある)①
  • 11.カメラ位置設定(上下、左右、前後)は要望があれば付ける。(省略する考え方もある)②
  • 12.シャッターボタンは要望があれば付ける。(省略する考え方もある)③
ユーザに要望を聞くのも簡単だ
「カメラの向きや、ズームをコントロールしたいですか?」
「カメラの位置を動かしたいですか」
「シャッター切って静止画を撮りたいですか?それとも動画で撮りっぱなしがいいですか?」
ユーザが、それは一体何のこと?そんなことやって「綺麗に撮る」ことに意味あるの?(あとから要る所だけ切り出せば良いでしょ)と言えば、これらの操作系は要らない。

カメラでどういうものを撮りたいかがはっきりしていて、自分で操作したいという「写真のことを良く知っている(カメラに詳しいではない)」ユーザ向けでも操作は①~③までのわずか3つしか要らない。カメラの操作をこんなにシンプルにしたのは、カメラの技術が使いやすいよう進化したからだ。


リモコンの操作ボタンが少なくできるかどうかは、単にユーザデザインの問題だけではなく、ユーザの要望を如何に汲み取り実現できるかというシステム全体の問題でもあろう。

2012/03/27(火)名誉毀損喧伝を助長するシステム

話題の発端は
ある男性が、グーグルで自分の名前を打ち込むと、身に覚えのない犯罪行為を連想させる単語がサジェスト機能によって表示されるというのです。

男性は職場にいられなくなり、退職に追い込まれ、その後も採用を断られたりすることが続いているということです。
グーグル検索“人権侵害”の波紋
の話。
私は
サイト側のほうが悪いので、サイトを訴え続けるほうが正しいと思う。サジェストを消したところで被害者は救済されないので、あまり意味がないのでは・・・。
http://b.hatena.ne.jp/kensuu/20120325#bookmark-86755877

男性はグーグルに表示を止めるよう申し入れましたが、受け入れられなかったということで、男性は去年10月、東京地方裁判所に表示の削除を求める仮処分を申請しました。
そして、裁判所はこの申請を認め、表示の削除を命じる決定を出したのです。
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/0326.html
で済ますでなく、グーグルもその構造を変えるべきではないかと思う

が、その方向性が未だ見出せない。
http://twitter.com/akof/status/184500917557661696
というツイッターでの呟きまでが私の前フリ。


小飼 弾さんも、
そろそろGoogleは、みずからに科したこの呪文を発展的に解消すべきなのではないか。
不都合な検索結果 - I'm feeling unlucky
と言うに留まり、具体的な解決方向までは示せていない様子。

ここでは、問題の構造を整理しなおしておくことにしよう。

ウィキペディアにしてもはてなキーワードにしても、グーグルサジェスチョンにしても類似する構造と論理があって、かつては
「自組織」が編集したのではなく、不特定多数の手によって創られるコンテンツが集積されてるだけだから、そこに名誉毀損的内容が現れても自組織の責任ではない
という立場でいられた。

しかし、自動集積の特性を知って、
不特定多数になりすませば、特定の名誉毀損的内容を意図どおりにシステムに掲載させられる
という事実が知られてしまい、その自動集積ツール自体を名用毀損的内容の喧伝ツールとして使われるようになれば、「名誉毀損的内容とシステムとは無関係」という主張はもはや通じないようになると考えてよいだろう。

既にウィキペディアは「名誉毀損的内容」が掲載されにくいよう、改善を試みている(相当に人海戦術的ではあるようだが、一定成果は挙げていて、責任回避はできる程度に見える)

はてなとグーグルは今のところ知らぬ存ぜぬを通すつもりらしい。
この先、会社の決算に影響しかねないほどの高額賠償の敗訴を食らうのが先か、自身を改める方向を見出すのが先か、私は注目したい。

2012/03/21(水)割れ窓と笑い

割れ窓理論はちょっと・・。元論文読んだ?実際の治安に変化はないが、市民が、治安が「良くなったと感じる」からホームレスを排除しよう。っていう論文だぜ、あれ。
http://twitter.com/IZUMI162i6/status/182318701851320320
意識の上で「割れ窓」の存在を考え、それの対処を考えてる人が、注目している「割れ窓」そのものの価値を否定する話をされると、不愉快に感じるだろう。人によっては激怒するし、不謹慎だと非難する人もあるだろう。いずれにしても、それまでの視点を変えて、違う価値観での考え方に取り組む人は極めて少ないだろう。
  • 人を居なくする
  • 窓をなくす
  • 窓を(投石等が)届かないようにする
  • 窓を割った者の追跡性を100%にする
  • 窓を割れない材質に変える
  • 窓が割れても直ちに修復されるようにする
  • 窓を割るより悪いことを窓を割るより実行されにくい状況を作る
……これが「割れ窓理論のことを考える」こと。
http://twitter.com/akof/status/109451599457419264

社会秩序の信頼度を高めることを意識上のものとして、割れ窓理論を考えている人に、「人を居なくする」の解を示す。うまくすれば、笑わせられる。そして、自分のそれまでの狭い視野について改善を試みようとする人も多少は現れることがある。考えているテーマに関して、無意識的な前提となっているところを否定すると、(うまい具合にやれば、)虚をつかれて笑いに繋がることがある。


人の生死に関わる問題に対して、狭量な視点から「ルール」を標榜しようとしている人に、「そのルールは本質的な効果はないのでは?」と指摘すると、憤激し、不謹慎レッテルを貼ろうとするだけで、考え方を変えることはあまりない。しかし「人の生死」から考えの荷重が「ルールの徹底」に移って、「人の生」が無意識的な前提になった時に、「いっぱい殺せばそのルール徹底されるよね」という具合に虚を突くことができると、「笑い」を呼び起こし、そして視点を変える切っ掛けとすることができる場合もある。

「ワシントンD.C.のホワイトハウスの前で『くたばれ、レーガン!』って叫んでも罰せられないのと全く同じように、モスクワの赤の広場の前で 『くたばれ、レーガン!』って叫んでも罰せられません。」
日本の公序良俗とやらで見るとどうなんだろ。あるいは、「割れ窓」なんだろうか。
http://twitter.com/akof/status/3821129052
「くたばれ、レーガン」と効果的に叫んでみようか。レーガン元大統領の警護を要請する業務を強いられたとして、威力業務妨害に問われるだろう。

2012/03/21(水)3つの間違い

参照用に便利そうなテンプレートなので、ここに転載しておく
  • 1.自分(達)が被害・不利益を被っているか否かの判断を誤る。
  • 2.被害・不利益を被っていると認知した場合に見出す「問題点」を誤る
  • 3.見出した「問題点」に対して有効な「対策・対応」を誤る
この3つのどこかで間違って、物事が良い方向に改善されることは殆ど無い。
3つの間違い点
  • 1.自分達の被害ではなく、自分達だったら被害だと思うだろうというとんでもない妄想に義憤を感じ
  • 2.その「被害」の原因を、因果関係のない人や物事に無理矢理に押し付け
  • 3.その行為や物事の抑制よりも他への悪影響の方が甚大な手法をとって、無意味な報復の連鎖を引き起こす
3つの具体例
……という考え自体が、間違い。(4つ目)
http://www.facebook.com/ako.fujiwaka/posts/302043449861034

2012/03/14(水)「真実」と「嘘」の狭間

敬愛するふっしーさん(藤野英人さん)の 「時事通信と共同通信が正反対の「事実」を報道。東電OL殺人事件のDNA鑑定の報道から、マスコミやソーシャルメディアの「情報」との接し方を学ぶ」という記事に、本ブログを紹介いただいた。恐縮しきりだ。

まだブロガーを名乗れるほどのコンテンツはないが、これから充実させていきたいというところ。


さて、本ブログをご紹介いただいた記事の後半に興味深いパズルが掲載されている。一応正面から取り組むと、一例としてこういう思考過程が可能だろうか。

① (仮定Ⅰ)Bが白と仮定する⇒②「 Bのみが白でACDEが赤」が真実⇒③ 赤のACDは嘘を言っているはず⇒④ Aからみて「白が一人で赤が3人だ」は真実でありAは嘘をいっていない⇒⑤ ③④は矛盾しており仮定Ⅰ(B白)は正しくない

①' Bは赤⇒②' ACDEの1人以上が白⇒③' (仮定Ⅱ)Cを白と仮定⇒④' Cの「4人とも赤だ」は真実⇒⑤' Cが白でABDEが赤⇒⑥' Aからみて「白が一人で赤が3人だ」は真実でありAは嘘をいっていない⇒⑦' 真実を言うAは白⇒⑧' ⑤'⑦'は矛盾しており仮定Ⅱ(C白)は正しくない

③'' Cは赤⇒④'' BCが赤なのに「白が3人で赤が1人だ」と言うDは嘘⇒⑤'' (BC)Dは赤⇒⑥''(仮定Ⅲ)Eが赤と仮定⇒⑦'' Aからみて「白が一人で赤が3人だ」は嘘なのでAは赤⇒⑧'' 全員が赤⇒⑨'' Cの「4人とも赤だ」は真実になり、Cは白⇒⑩'' ⑧''⑨''は矛盾しており仮定Ⅲ(E赤)は正しくない

⑥''' Eが白(①'B赤、③''C赤、⑤''D赤)⇒⑦''' Aの「白が一人で赤が3人だ」は真実なのでAは白⇒⑧''' AEが白(本当の事を言う)、BCDが赤(嘘を言う)で与えられた問題内容に矛盾しない

これでふっしーさんのいう、「答えは2のAとEです」に辿り着ける。

しかし、この問題文をよくよく見ると、実は「白の帽子を被っている人は本当の事を言う」という条件は書かれていない。また選択肢に示された人物以外が白の帽子を被ってないとする条件も無い。

そこで、問題文に書かれてはいない暗黙条件を外して改めて考え直してみる。すると答えは一意には定まらず、
  • ACDが白、BEが赤のような場合、「1. A,Cが白」は成立
  • BCが白、ADEが赤のような場合、「3. B,Cが白」は成立
  • BDが白、ACEが赤のような場合、「4. B,Dが白」は成立
  • DEが白、ABCが赤のような場合、「5. D,Eが白」は成立
となると思う。

ふっしーさん(@fu4)の「答えは2のAとEです」は確かに嘘ではない。
が、他には答えがないとも言ってない。

「真実」と「嘘」の間に、多くの「答え」がある。

2012/03/13(火)お気軽に嘘報道

時事通信:受刑者のDNA型検出されず=検察独自の追加鑑定で-東電OL殺害

東京高検が独自に行っていた27点の物証のDNA型鑑定の結果、ゴビンダ・プラサド・マイナリ受刑者(45)や、別人の「第三者」のものと特定できるDNA型は、いずれも検出されなかったことが12日、関係者への取材で分かった。同日、東京高裁と弁護団に鑑定結果が開示された。
共同通信:受刑者のDNA型検出か 東電社員殺害の追加鑑定

東京高検が物証27点を独自にDNA鑑定した結果、被害女性の手に付着していた微物から受刑者と一致するとみられるDNA型が検出されたことが12日、検察関係者への取材で分かった。
 関係者によると、27点は女性の手や着衣の微物など。検察関係者は「事件当日に、受刑者と被害者が接触した可能性を強めるもの」と説明。今後、あらためて有罪は揺るがないと主張する
時事と共同のどちらかが「嘘」を報道してるわけだが、嘘が判明しても、メディアも検察も誰かのクビがとぶわけでもない。ツイッターのRTやフェイスブックの「笑ったらシェア」と何ら変わらない無責任さで垂れ流してると言える。


追記
産経:東電OL殺害、受刑者DNA型と矛盾せず 高検が独自鑑定開示

東京高検は12日、独自に進めていた物証27点の追加鑑定の中間結果を弁護側に開示した。関係者によると、被害者の手の付着物から、~受刑者=無期懲役が確定=のDNA型と矛盾しない結果が検出されたという。

 これまでの鑑定で、~受刑者の着衣などを除き受刑者と断定できるDNA型は検出されていない。今回の結果は検察側に有利となる可能性があり、高検は慎重に分析するとみられる
役人言語による玉虫色の表現だが、良識あるまっとうな日本語に訳せば「受刑者のDNA型はまだ検出されてない」になる。