2012/10/02(火)「考えを改める」条件

虐めにしても、子供の虐待にしても、大抵やってる方は正しいことをしていると信じていて、それは信念や宗教に近い。そしてそれを改宗させるのは難しく、刑罰ぐらいでは変わることはまずない。何故なら、強いて改心させるのは、自己否定あるいは精神的自殺を強要することに他ならないから。

「痛い目に遭えば考え方を変える」という事が起こるのは実は稀なことだ。痛い結果を引き起こさない防衛策として、最もコストが低く確実なのが「考え方を変えることだ」と自身で納得できる場合以外にはその選択をとらないからだ。例えば多くの人は、「自分の考え方を改める」より「やり方を変えずに、かつ見咎められないようにする」方がコストが低いと直感的に判断してしまう。勿論、もっとコストが低いと思う選択肢を自身え見出した人はそれを選ぶが。

手に持っていた重い物を、自分の足の上で手を離して、果たしてその重い物が足の上に落ちて「痛い目」に遭った場合。自分のした事と、痛い事の因果関係は極めて直結的で、他に介在するものがない。そのような場合には、人は自身が悪かったことを認め「もう二度と自身の足の上で持った物の手を離さないようにしよう」と考えるだろう。

ところが、手に持っていた重い物を、他人に手渡そうとして、渡すべき手が近づく前に自分の足の上で手を離して、果たしてその重い物が足の上に落ちて「痛い目」に遭った場合。自分のした事と、痛い事の因果関係の間に、他人の行為が介在する。そのような場合には、人は自身が悪かったとは往々にして認めることはできず、「受け取るべきその人が悪い」と考える。そして、「次はしっかり受け取れ」と他人に転嫁してしまう。

「(たとえ「義」があっても)他人に暴行を加えたら、刑罰を受ける」は、因果関係だが、自身の暴行と受ける罰とは直結していない。「暴行を知られる」「義を認めてもらえない」「捜査を受ける」「裁判を受ける」等々多くの介在事項がある。そのような多数の介在事項がある場合、人は、自身の考え、行動原理の過ちを認めて変えることより、介在する何かに原因を求め、その「原因」を排除できさえすれば、「痛い目」対策はできると考える。

ここで留意すべきことが一つある。「痛い目」の度合いが大きくなっても(刑罰がより重くなっても)、何が「原因」として選ばられるかにはさほど影響しないのだ。虐めや子供の虐待に対する刑罰を重くしても、それをする人は自身の考えや行動原理を改める方向にはあまり向かない。

虐めや虐待を見つけ次第、立件し、重罰を与えるようにすれば、恐らく虐めや虐待は「減る」だろう。しかし、それは「認知されなくなった」だけだ。重罰を避けるために選択されるのは、「正義の鉄拳」や「躾」を止めることではなく、見咎められなくすることだからだ。

2012/04/13(金)リモコンのデザイン

カメラのイラスト.JPG

67個のボタン、継ぎ足されて、さらに25個のボタン。合計92個のボタン。

別に、飛行機を飛ばしたいわけではない。
単に、テレビ番組を録画したいだけである……。
「ガラパゴスリモコン」が示す日本のもの作りの限界~リモコンで飛行機でも飛ばしたいの?~
という記事に触発されて。

思考実験の題材として、昔の一眼レフカメラを遠隔操作できるようにするリモコンを考えてみよう。

まず、
  • 1.レンズキャップの付け外しボタンが要る。
(こら、笑うな!)
  • 2.フィルム換装ボタン
  • 3.フィルム開始位置までの巻上げボタン、フィルム送りボタン、フィルム最終巻取りボタン
  • 4.照度計(照度計の位置・方向設定)
  • 5.フラッシュバルブ換装ボタン
  • 6.レンズ選択換装ボタン
  • 7.絞り設定
  • 8.シャッター速度設定
  • 9.焦点設定
  • 10.フレーミング設定系(ズーム設定+カメラの向き(上下左右))
  • 11.カメラ位置設定(上下、左右、前後)
それと最後に
  • 12.シャッターボタン
である。

一応、ユーザに、要求を聞いてみよう。
「遠隔操作できるカメラを作ろうとしてるのですが、カメラに何を望みますか?」
『綺麗に写せるカメラだったら何でもいいよ』
「え?それだけですか?」
『え?それ以外に何か要るんでしょうか?』
「要求仕様は“綺麗に写せるカメラ”ですか」
『ええ、“綺麗に写せるカメラ”です』
困った。要求はシンプルなのに、設計してるリモコンは超複雑だ。これでは使ってもらえそうにもない。

ところで、現在の高性能コンパクトデジタルカメラを遠隔操作しようとしたらどうなるだろうか。
  • 1.レンズキャップ付け外しボタンは要らない。代わりに電源ON/OFF(レンズカバーの開閉連動)操作のボタンを検討しなければいけないが、リモコンにタッチセンサーを付けるなどして操作不要にすることはできる。
  • 2.3.フィルム操作系は一切要らない。撮った映像データはサーバ等に自動転送することもできる。
  • 4.照度測定-絞り設定は自動化できる
  • 5.フラッシュ設定も自動化できる
  • 6.レンズは換装しない
  • 7.絞り設定も自動化できる
  • 8.シャッター速度設定も自動化できる
  • 9.焦点設定も自動化できる
  • 10.フレーミング設定系(ズーム設定+カメラの向き(上下左右))は要望があれば付ける。(省略する考え方もある)①
  • 11.カメラ位置設定(上下、左右、前後)は要望があれば付ける。(省略する考え方もある)②
  • 12.シャッターボタンは要望があれば付ける。(省略する考え方もある)③
ユーザに要望を聞くのも簡単だ
「カメラの向きや、ズームをコントロールしたいですか?」
「カメラの位置を動かしたいですか」
「シャッター切って静止画を撮りたいですか?それとも動画で撮りっぱなしがいいですか?」
ユーザが、それは一体何のこと?そんなことやって「綺麗に撮る」ことに意味あるの?(あとから要る所だけ切り出せば良いでしょ)と言えば、これらの操作系は要らない。

カメラでどういうものを撮りたいかがはっきりしていて、自分で操作したいという「写真のことを良く知っている(カメラに詳しいではない)」ユーザ向けでも操作は①~③までのわずか3つしか要らない。カメラの操作をこんなにシンプルにしたのは、カメラの技術が使いやすいよう進化したからだ。


リモコンの操作ボタンが少なくできるかどうかは、単にユーザデザインの問題だけではなく、ユーザの要望を如何に汲み取り実現できるかというシステム全体の問題でもあろう。

2012/03/27(火)名誉毀損喧伝を助長するシステム

話題の発端は
ある男性が、グーグルで自分の名前を打ち込むと、身に覚えのない犯罪行為を連想させる単語がサジェスト機能によって表示されるというのです。

男性は職場にいられなくなり、退職に追い込まれ、その後も採用を断られたりすることが続いているということです。
グーグル検索“人権侵害”の波紋
の話。
私は
サイト側のほうが悪いので、サイトを訴え続けるほうが正しいと思う。サジェストを消したところで被害者は救済されないので、あまり意味がないのでは・・・。
http://b.hatena.ne.jp/kensuu/20120325#bookmark-86755877

男性はグーグルに表示を止めるよう申し入れましたが、受け入れられなかったということで、男性は去年10月、東京地方裁判所に表示の削除を求める仮処分を申請しました。
そして、裁判所はこの申請を認め、表示の削除を命じる決定を出したのです。
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/0326.html
で済ますでなく、グーグルもその構造を変えるべきではないかと思う

が、その方向性が未だ見出せない。
http://twitter.com/akof/status/184500917557661696
というツイッターでの呟きまでが私の前フリ。


小飼 弾さんも、
そろそろGoogleは、みずからに科したこの呪文を発展的に解消すべきなのではないか。
不都合な検索結果 - I'm feeling unlucky
と言うに留まり、具体的な解決方向までは示せていない様子。

ここでは、問題の構造を整理しなおしておくことにしよう。

ウィキペディアにしてもはてなキーワードにしても、グーグルサジェスチョンにしても類似する構造と論理があって、かつては
「自組織」が編集したのではなく、不特定多数の手によって創られるコンテンツが集積されてるだけだから、そこに名誉毀損的内容が現れても自組織の責任ではない
という立場でいられた。

しかし、自動集積の特性を知って、
不特定多数になりすませば、特定の名誉毀損的内容を意図どおりにシステムに掲載させられる
という事実が知られてしまい、その自動集積ツール自体を名用毀損的内容の喧伝ツールとして使われるようになれば、「名誉毀損的内容とシステムとは無関係」という主張はもはや通じないようになると考えてよいだろう。

既にウィキペディアは「名誉毀損的内容」が掲載されにくいよう、改善を試みている(相当に人海戦術的ではあるようだが、一定成果は挙げていて、責任回避はできる程度に見える)

はてなとグーグルは今のところ知らぬ存ぜぬを通すつもりらしい。
この先、会社の決算に影響しかねないほどの高額賠償の敗訴を食らうのが先か、自身を改める方向を見出すのが先か、私は注目したい。

2012/03/21(水)割れ窓と笑い

割れ窓理論はちょっと・・。元論文読んだ?実際の治安に変化はないが、市民が、治安が「良くなったと感じる」からホームレスを排除しよう。っていう論文だぜ、あれ。
http://twitter.com/IZUMI162i6/status/182318701851320320
意識の上で「割れ窓」の存在を考え、それの対処を考えてる人が、注目している「割れ窓」そのものの価値を否定する話をされると、不愉快に感じるだろう。人によっては激怒するし、不謹慎だと非難する人もあるだろう。いずれにしても、それまでの視点を変えて、違う価値観での考え方に取り組む人は極めて少ないだろう。
  • 人を居なくする
  • 窓をなくす
  • 窓を(投石等が)届かないようにする
  • 窓を割った者の追跡性を100%にする
  • 窓を割れない材質に変える
  • 窓が割れても直ちに修復されるようにする
  • 窓を割るより悪いことを窓を割るより実行されにくい状況を作る
……これが「割れ窓理論のことを考える」こと。
http://twitter.com/akof/status/109451599457419264

社会秩序の信頼度を高めることを意識上のものとして、割れ窓理論を考えている人に、「人を居なくする」の解を示す。うまくすれば、笑わせられる。そして、自分のそれまでの狭い視野について改善を試みようとする人も多少は現れることがある。考えているテーマに関して、無意識的な前提となっているところを否定すると、(うまい具合にやれば、)虚をつかれて笑いに繋がることがある。


人の生死に関わる問題に対して、狭量な視点から「ルール」を標榜しようとしている人に、「そのルールは本質的な効果はないのでは?」と指摘すると、憤激し、不謹慎レッテルを貼ろうとするだけで、考え方を変えることはあまりない。しかし「人の生死」から考えの荷重が「ルールの徹底」に移って、「人の生」が無意識的な前提になった時に、「いっぱい殺せばそのルール徹底されるよね」という具合に虚を突くことができると、「笑い」を呼び起こし、そして視点を変える切っ掛けとすることができる場合もある。

「ワシントンD.C.のホワイトハウスの前で『くたばれ、レーガン!』って叫んでも罰せられないのと全く同じように、モスクワの赤の広場の前で 『くたばれ、レーガン!』って叫んでも罰せられません。」
日本の公序良俗とやらで見るとどうなんだろ。あるいは、「割れ窓」なんだろうか。
http://twitter.com/akof/status/3821129052
「くたばれ、レーガン」と効果的に叫んでみようか。レーガン元大統領の警護を要請する業務を強いられたとして、威力業務妨害に問われるだろう。

2012/03/14(水)「真実」と「嘘」の狭間

敬愛するふっしーさん(藤野英人さん)の 「時事通信と共同通信が正反対の「事実」を報道。東電OL殺人事件のDNA鑑定の報道から、マスコミやソーシャルメディアの「情報」との接し方を学ぶ」という記事に、本ブログを紹介いただいた。恐縮しきりだ。

まだブロガーを名乗れるほどのコンテンツはないが、これから充実させていきたいというところ。


さて、本ブログをご紹介いただいた記事の後半に興味深いパズルが掲載されている。一応正面から取り組むと、一例としてこういう思考過程が可能だろうか。

① (仮定Ⅰ)Bが白と仮定する⇒②「 Bのみが白でACDEが赤」が真実⇒③ 赤のACDは嘘を言っているはず⇒④ Aからみて「白が一人で赤が3人だ」は真実でありAは嘘をいっていない⇒⑤ ③④は矛盾しており仮定Ⅰ(B白)は正しくない

①' Bは赤⇒②' ACDEの1人以上が白⇒③' (仮定Ⅱ)Cを白と仮定⇒④' Cの「4人とも赤だ」は真実⇒⑤' Cが白でABDEが赤⇒⑥' Aからみて「白が一人で赤が3人だ」は真実でありAは嘘をいっていない⇒⑦' 真実を言うAは白⇒⑧' ⑤'⑦'は矛盾しており仮定Ⅱ(C白)は正しくない

③'' Cは赤⇒④'' BCが赤なのに「白が3人で赤が1人だ」と言うDは嘘⇒⑤'' (BC)Dは赤⇒⑥''(仮定Ⅲ)Eが赤と仮定⇒⑦'' Aからみて「白が一人で赤が3人だ」は嘘なのでAは赤⇒⑧'' 全員が赤⇒⑨'' Cの「4人とも赤だ」は真実になり、Cは白⇒⑩'' ⑧''⑨''は矛盾しており仮定Ⅲ(E赤)は正しくない

⑥''' Eが白(①'B赤、③''C赤、⑤''D赤)⇒⑦''' Aの「白が一人で赤が3人だ」は真実なのでAは白⇒⑧''' AEが白(本当の事を言う)、BCDが赤(嘘を言う)で与えられた問題内容に矛盾しない

これでふっしーさんのいう、「答えは2のAとEです」に辿り着ける。

しかし、この問題文をよくよく見ると、実は「白の帽子を被っている人は本当の事を言う」という条件は書かれていない。また選択肢に示された人物以外が白の帽子を被ってないとする条件も無い。

そこで、問題文に書かれてはいない暗黙条件を外して改めて考え直してみる。すると答えは一意には定まらず、
  • ACDが白、BEが赤のような場合、「1. A,Cが白」は成立
  • BCが白、ADEが赤のような場合、「3. B,Cが白」は成立
  • BDが白、ACEが赤のような場合、「4. B,Dが白」は成立
  • DEが白、ABCが赤のような場合、「5. D,Eが白」は成立
となると思う。

ふっしーさん(@fu4)の「答えは2のAとEです」は確かに嘘ではない。
が、他には答えがないとも言ってない。

「真実」と「嘘」の間に、多くの「答え」がある。

2012/01/25(水)「全てのM7以上の地震を3日前に予知できる方法」は役立つ地震予報の十分条件か?

こんな地震予知をする人、尾上氏(仮名)がいたとしよう。
尾上氏は、特定の地域、糖嬌(仮名)について、いつも「今年の五月三十五日にM7以上の地震が起きる」といったような具体的な地震情報を明らかにする。そして、過去10年意渡って、糖嬌で実際に起きたM7地震全てについて3日前にその予知を正確に述べていたという実績がある。そして、最終的に予報を外したことは1度もないという。
尾上氏のこの素晴らしい地震予知は、地震防災に役立つだろうか?
尾上氏の地震予知情報はこんな具合に明らかにされる。「今年の五月三十五日にM7以上の地震が起きる」の情報は四月の終わり、あるいはもっと前に、初めて示される。しかし、この予知は確定情報ではないのだ。

「五月三十五日にM7以上地震」の情報が明らかにされた後、五月三十五日が迫ってくるある日ある時、「五月三十五日にM7以上地震」は取り消される事がある。状況が変わったので、五月三十五日には地震は起こらなくなってしまったと。
それでも、五月三十五日の3日前、即ち五月三十二日の段階で尾上氏の地震予知情報がどうなっているかさえ確認すれば良いと考えるかもしれない。しかし、実は、尾上氏の地震予知システムでは3日前に予知は確定してない。どういうことか。
尾上氏は、五月三十四日になって「五月三十五日にM7以上地震」が取り消す事がある。それどころか、五月三十五日当日の24時寸前にだって取り消す事があるのだ。

五月三十五日に実際にM7以上地震が起こってしまった場合には、振り返ってその3日前、すなわち五月三十二日時点での予報がどうだったかを確認してみると、確かにいつも「M7以上地震があるとの予報」になっている。

尾上氏は、多数の地震発生予報を出す。それらの予報を並べてみると、ほぼ毎日地震が起こるかのような予報が出ているのだ。そしてそのほとんど全ての予報はその日が来る前に取り消される。
だからといって尾上氏の予報は、決してインチキだということではない。十分科学的で、そして予報として成り立っている意義有る情報なのだ。

地震が起こると予報しなかった日について、実際に地震は起きてない。地震が起こるとした日についても、早々に予報を取り消した場合にも、地震は起きてない。つまり、地震が起きないことについて、極めて的確に予報している。
ところで、尾上氏はこうした予報を出すに留まらなかった。

尾上氏は、「実際に起きたM7地震全てについて3日前にその予知を正確に述べていたという実績」を挙げながら、地震発生予想日の3日になると、必ず「住民を糖嬌から遠くはなれた場所に避難させななさい」と、自治体や住民にきわめて強く働きかける。

そうした働きかけを受けた当初は、尾上氏の勧告どおり、住民は避難した。が、地震予報は取り消され、そして地震は起こらない、という結果になった。何度か無駄に避難したところで、行政も住民も気付いた。尾上氏の予報と避難勧告は「狼少年」の一形態にしか過ぎないことを。
狼少年の「狼情報」は全てが嘘というわけではない。いつかは本当の情報のことがある。しかし、狼少年の「狼情報」を傾聴しても、それがいつ本当なのかは結局分らないのだ。有用な情報はそこにはない。それと同様、尾上氏の地震予想は科学的に正しいにもかかわらず、やはり有用ではない。
尾上氏の避難勧告は、単なる迷惑行為でしかない。住民達は、尾上氏に、地震予報と避難勧告を住民に向けて発信するのは止めて欲しいと強く申し入れた。

尾上氏は、科学的に正しい情報を発信しているにも関わらず、その情報発信を弾圧されたと怒っているそうだ。