2011/02/21(月)日本タイガー電器株式会社販売の小径タイヤの折りたたみ自転車a-bicycleの主要フレーム破断

国民生活センターへ送った文面
日本タイガー電器株式会社が販売するのa-bicycle 8インチ版に乗っていたところ、乗員の安全性に直接関わるだろう重要な部位が破損しました。幸い破壊の瞬間は降車動作中だったため怪我には至りませんでしたが、もし走行中にこの部位が同様に破損すれば極めて危険と考えられるため、情報提供させていただきます。

当該a-bicycleは、オークションで本年1月24日に買ったものです。エアタイヤであることなど細かい仕様から販売された時期は1~2年前だと推測されますが、タイヤに摩耗が全く無い等、ほとんど走行の形跡がなく、非常に綺麗な状態でした。入手してから各部のネジの緩みがないことのチェックと、ホイールを外してタイヤとチューブの劣化のないことチェックをして、空気圧を調整してから乗り始めました。

破損したのは、1月28日で、入手してからの走行距離は10km程度です。破損が起きた場所はJR吹田駅前の歩道上で、JRに乗車するため降車した時でした。それまで平坦な舗装路をごく普通に走ってきていて降車したのですが、足が着地すると同時に車体がフニャリとあり得ない体裁で崩れ落ちました。降車動作において、右足をあげ、左足のみが左ペダルに全体重がかかる時に、車体フレームには強い負荷がかかりますが、その負荷で破損したものと推測しています。破損様態は、A型フレームの水平バーの真ん中にある、樹脂製連結部が割れて破断していたしました。破損部位について http://twitpic.com/3xktup に写真で示しています。わたくしの体重は現在○○kgで過荷重ということはありません。通常の使用をしてきました。

a-bicycleのマニュアルには、この部位の破損の重大な危険性について何ら告知されていませんし、この部位の点検の方法もメンテナンスの必要性も一切説明されていません。従って、走行中にこの破断が起こるなどして乗員に怪我があれば、PL法にも抵触しうる内容です。これらの状況は、何らかの対策がなされることが望まれますが、本内容を販売元にメール連絡しましたが全く反応いただけず無視されました。

これらのことから、この事例情報を将来の事故回避に繋げるには、貴センターなどの発表などによってユーザが情報共有されるなどしなければならないと考えました。よろしくご対応をお願いします。
国民生活センターの反応
       情報をご提供いただきありがとうございました。
       後ほど、受領した旨の電子メールをお送りします。

       国民生活センター 消費者トラブルメール箱 担当
                     t_box@kokusen.go.jp
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2010/07/28(水)児童ポルノブロッキング新組織への誘い

仮に自分が、多少の功も名も遂げている、つまり、「やりがいのある仕事で実績も上げてるし、そのお陰で食うには困ってない」有識者と呼ばれる人だとしよう。その自分のもとへ、どこの省庁からも独立した「児童ポルノのブロッキング」の新組織を立ち上げるから、参加して欲しいと内閣から依頼が来たら、どうするだろう。

何をどう考えても、その仕事を真面目にやったところで特段の工夫のしどころはなく、成し遂げるべく夢が見いだせるはずもない、ただ国民から胡散臭い目で見られ、批判をあびるだけの仕事である。そんな面倒事を敢えて受けるには、どんな動機がある得るか。

1.児童ポルノ(それに紛う卑猥なモノ)を見るのが実は大好きな場合:児童ポルノブロッキングこの仕事をやっていれば、世界中のありとあらゆる児童ポルノや児童に近い若い成人の猥褻物を毎日大量に、はばかりなく堂々と見れる。

2.他人の不幸は蜜の味の場合:児童ポルノ紛いだがそれを創った本人はそうでないと確信しているものをブロッキングすると、必ず無駄な抵抗をしてジタバタする。そのもがき様を見ると、自分の権力の大きさをしみじみ実感できて生きる喜びに満ち溢れる。下民共、もっともっと苦しめ!

3.思想信条的に弾圧したいコンテンツがある場合:邪教信者が描く「天使」とかいうものは児童に欲情するために創りだしたまがい物で、天使に関わる邪教の全てのコンテンツと、その邪教を国教する蛮国のあらゆる「文化」はこの世から殲滅しなければならないのだ。

4.児童ポルノブロッキングの暴走を食い止める使命を帯びている場合:極めて危険な思想弾圧構造である「児童ポルノブロッキング」を暴走せしめる、あらゆる邪な思想と横車を、命を賭して防げという天啓があった。神の命のもと、我は闘うぞ。

「児童ポルノのブロッキング」の新組織内では、この4種(以上)の種族達が内部覇権を巡って、痴を痴で洗う争いを繰り広げ続けるだろう。

─────このようなことが予想されても、自分はこの仕事を受けなければならないだろうか。正気ならば決して受けはしまい。

2010/07/21(水)a-bike随想 2

危険性:転倒要因は極めて多い

転倒した際の大怪我に至る可能性は、車体特性から若干緩和されている。元々あまり速度は出ない、重心が低い、車体から離れやすい(うまく飛び降りやすい)、車体慣性が小さく凶器になりにくい。

左右の振れに対する復元性は悪く、左右バランスは悪い。慣れても決して手放し運転はしたくないレベルだ。

前輪が段差に引っかかって、後輪が持ち上がってバランスを失う場面は極めて多い。路面を睨みつけて走らないと危険だ。

前輪を故意に持ち上げたり、車体トラブルでない限り、前輪が持ち上がって転倒する場面は稀だ。

ハンドルを大きく切って曲がった際の、タイヤが横滑りし出す限界はそれほど低くはない。前輪が後輪より先に滑りだす場面は多い。

車体伸展時の各部の「留め具」の固定を仕損じていると確実に酷い転倒になる。前の支柱の伸展ストッパーを失敗していると支柱が突然縮んで前宙する。後ろの支柱のストッパーを仕損じていると、後ろに尻もちをつく。前後支柱間の水平バーの真ん中のストッパーが掛かっていなければ、やはり前転する。組み立てた時に確認するポイントは5箇所しかないが、どこか1箇所でも確認を怠ると大怪我に直結している。

耐久性:最悪

致命的なトラブルがよく発生する。個人的に体験したものでも、後輪のベアリング粉砕。フリーの破壊。1次系チェーンの破断。

パンクの頻度は異常に多い。パンクした場合の修理は困難と面倒を極める。自転車店に持って行ってパンク修理を依頼しても、まず間違いなく拒絶される。

2010/07/21(水)a-bike随想 1

a-bikeについてはもう十二分に語り尽されているといってよいので、私が書くことも最早や何も無いのだが、つらつらと書きなぐってみる。

a-bikeのコンセプト

a-bikeのことは、自転車の新境地を切り開いたパイオニアとして、賞賛を惜しまない。そして私はこれを愛用している。が、あまりにも未完成で、とてもじゃないがまともに使えることを微塵も期待できるようなシロモノではない。

普通に「走り」を考えたら、小径車なんて不利な要素ばかりでメリットはない。飯倉清が小径車のことをボロカスに言っているビデオがあがっているが、これを見て私は爆笑した。何もかも当たっているし、反論する余地はどこにも見いだせない。こんな奇形メカを賛美するなんて、確かに旦那やの道楽としか言いようがなかろう。
http://www.youtube.com/watch?v=lhaJP_9F0hs

「走り」という漠然とした評価軸を捨て、日常生活の限定した場面だけを切りだして、その中での機動性という歪な評価軸を採用したときのみ、小径車にはとるに足るものとして映る。そうした歪世界内の話ではあるが、a-bikeは光り輝いている。いや、a-bikeは自らが輝く世界を切りとって見せたといってよいかも知れない。

居場所からから小走りにでも行けるようなちょっと離れた場所まで行く時、あるいは最寄り駅から所用場所まで、そこそこの距離の平地舗装路の移動が必要な時、a-bikeは絶大な「利便性」の威力を発揮する。こんな状況は、漠然と「走り」を想念する場合には、極めて限定的、例外的と言わざるを得ないのだが、都会において日々頻繁にそうした状況の中にいる人々もいる。そうした特定の人々の「利便性」というモノサシを前提にさえすれば、a-bikeは画期的な自転車だ。

この自転車は「収納する⇔持ち運ぶ⇔折り畳み・展開する⇔乗車する」の間で頻々と状態変化するのに特化している。そのために、「走り」と、そしてそれ以上に「メンテナンス性」を惨いばかりに犠牲にしている。

a-bikeのもたらす「利便性」を訴える相手は、本来「一般人」でなければならないのだが、一般人は「走り」が犠牲にされることについて仮に我慢できても、「メンテナンス性」が犠牲にされるのは到底我慢出来ない。このことから、a-bikeは一般人向けを追求しながら、ついに一般人には受け入れ可能なものには仕上げられていない。このことによって、結局は、a-bikeを評価する人々が、わずかなマニアに留めてしまっている。

a-bikeが切り開いた「便利な自転車」の世界は、a-bikeを踏台に今後ますます発展するだろう。だが、a-bikeはパイオニアではあるが、その世界での成功者たりえなかった。

a-bikeの走り

a-bikeの利便性は100%完璧と評して良い。使ってみれば分るし、間違いなく満足を得られる。なので、ここではくだくだ書かない。

乗り心地:悪い

乗り心地はあらゆる面で悪い。確実に慣れることができ、慣れれば気にならなくなる。が、一度跨っただけで断念する人も大勢いる。乗る前から「これは素晴らしい自転車だ」と信じているかどうかが、分かれ目のようだ。

直進性:良い。

極限的に小さな径の車輪を見て、直進性の悪さを心配する人は多いが、直進性は極めて良い。直進性が悪くなるような、荷重のかけ方をする乗車は基本的に「できない」からだ。

操作性:慣れないと、ハンドリング(左右への操作性)はむしろ悪い。

ライディングポジションが後ろにあるのを見て、前かがみになってハンドルに荷重をかけるほどに、操作性は悪くなる。曲がりたいと思ってもハンドルがうまく切れず、ある程度力をいれると突然ハンドルが大きく切れることになる。この「突然曲がる」特性を「直進性の悪さ」と考えて、上体に力がはいるとますます乗りにくくなる。

バイクのスポーツライディングにいう「リアステア」のように、後輪にどっしり乗り、後輪の接地面をヨーの軸のイメージを持つぐらいになると、気持ちの良い操作性が得られる。後ろにどっしり乗ると、前輪がもちあがってひっくり返る心配が頭をよぎるかもしれないが、よほど極端な条件にならない限り、実はひっくり返らない。

制動性:可。悪くない。

一般の自転車の、ブレーキをある程度握るとこれ以上握れなくなる「当たり」があるブレーキ感に慣れていると、ぐにゅんと当たりがないブレーキ感は制動が効いてない不安に駆られるだろう。が、その実ちゃんと効く。日本向けに販売されているものは、JISの制動性基準も満たしており、どう間違っても「制動性が悪い」とは評せない。

a-bikeで乗車したまま登れないような坂を、逆に下るような坂での十分な制動性はさすがにない。それはそもそも無茶な要求だろう。ただ、a-bikeでは、「やばい」と感じた時には、車体の後ろに簡単に飛び降りれて、そして自転車とともに止まれる。万一の時にはこの方法で十分止まれるので、ディスクブレーキのような制動性がないからといって不安がる必要はない。

走破性:決して良くはない。

が、我慢するというほどではなく、そこらのママチャリ程度には走れる。巡航で時速15kmは普通にできる。あまり長い距離の走行は辛く、一般人には連続3kmまでが目処だろう。

小径車を見ると、ペダルをくるくる回さないと走らないのではないかと心配する人は多いようだが、ペダル1回転で3mそこそこ走る。これは一般的なママチャリよりはやや短いものの、そこらの16インチ車でさえこれより走らないモデルもあるぐらいで、決して悪い数字ではない。漕ぎ出し時のバランスの悪さを考えると、これぐらいが適当だと思う。

漕ぎ続けないと走らない。小径車故の、タイヤの回転数の多さや、ブレーキ類の配置のため、摩擦要因は多い。

登板力は貧弱だ。変速機もないし、ペダル周りやフレームの剛性感も十分ではない。5%の坂でも車体に無理をかけてる感がある。坂を駆け下りることに問題はないが、その場合も制動力は十分でないので注意が必要だ。

路面の凹凸には注意が必要だ。少々の段差や、ギャップも、前輪をうまく持ち上げると通れる。前輪を持ち上げる際に肩や肘を使って「ぐい」と持ち上げると、持ち上がりすぎてバランスを失いがちになる。手首のスナップで「くぃ」と軽く持ち上げるぐらいで十分だ。段差を降りる際も無理は禁物だろう。サスペンションがないため衝撃でフレームを痛めかねない。

耐候性:良い。

風の走破性に対する影響は小さい。相対的に一般の自転車よりも、車体の風を受ける面積は小さい。ただ左右のバランスが良い車体ではないので、強い横風を受けた時の不安定感が小さいというわけではない。

雨天時にも「走る、曲がる、止まる」の性能はあまり影響を受けない。ただ、車輪が巻き上げた泥水が駆動系にもろにかかっているので、雨天走行後の注油や掃除のメンテナンスは欠かせない。

2010/07/15(木)種牛を殺さず、移動制限解除するための、法についての妄想

家伝法では、家畜の移動の禁止は規定しているが、所有権放棄は禁止していない。移動制限の直前に、種牛農家が所有権放棄し、同時に管理も放棄することを考える。

人が管理する動物については農水省の管轄だが、人が管理しない動物は環境省の管轄である。明らかに家伝法は及ばない。


一応、法に言う家畜とは何であるか確認しておく。家畜の定義は、家畜商法の規定が参考になろう。
家畜商法
第二条  この法律において「家畜」とは、牛、馬、豚、めん羊及び山羊をいい、「家畜商」とは、次条第一項の免許を受けて、家畜の売買若しくは交換又はそのあつ旋(以下「家畜の取引」と総称する。)の事業を営む者をいう。
動物種だけで家畜を決めている様子で、個体の人との関係によらずに決まるようである。これは他の法律においても同様のようだ。

動物については、「家畜」以外に「人の所有する動物」「人の飼育する動物」「人の管理する動物」「人の保護する動物」「愛護動物」「野生生物」などの概念があり、それぞれ(の補集合)は法律上互いに一致しない概念のようだ。

なお民法では家畜外(家畜以外)という言葉が用いられていて、この補集合は家畜であろう。
民法
第百九十五条  家畜以外の動物で他人が飼育していたものを占有する者は、その占有の開始の時に善意であり、かつ、その動物が飼主の占有を離れた時から一箇月以内に飼主から回復の請求を受けなかったときは、その動物について行使する権利を取得する。
判例に次のようなものがある。
大判昭7・2・16民集11-138
・本条にいわゆる家畜外の動物とは、人の支配に服さないで生活するのを通常の状態とする動物を指称
補集合を考えて家畜を定義するなら、
「人の支配に服して生活するのを通常の状態とする動物を家畜とする」
になる。

これらの法律から見て、所有していた家畜について所有権を放棄しても、家畜の定義からはずれた存在になることはないし、野生とみなされることもない。

愛護動物を「遺棄」したことにならないよう注意が必要である。
動物の愛護及び管理に関する法律
第四十四条  愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
3  愛護動物を遺棄した者は、五十万円以下の罰金に処する。
4  前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一  牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
動物愛護法における遺棄の定義は不明だが、刑法第二編第三十章「遺棄の罪」が参考になろう。
老年、幼年、身体障害者又は疾病のために扶助を必要とする者を遺棄した者は、一年以下の懲役に処する(217条)。
老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、三年以上五年以下の懲役に処する(218条)
これを見ると、「保護する責任のある者が、その生存に必要な保護をしなくなること」を遺棄だと考えてよいのだろう。従って、所有権放棄を、手続きに則って正当に行えば、「保護する責任がある状態から脱する」とみなせるであろうから、遺棄にはあたるまい。

なお、「逸走した家畜は、準遺失物」らしい。
遺失物法
第二条 この法律において「物件」とは、遺失物及び埋蔵物並びに準遺失物(誤って占有した他人の物、他人の置き去った物及び逸走した家畜をいう。次条において同じ。)をいう。
逆に言えば、所有権放棄することは、逸走せしめることとは別だということだ。所有権放棄した後も、そこにいる牛にそのまま関与しなければ(無作為で居続ければ)「保護」にも「管理」にも「飼育」にも当たるまい。

所有権を放棄した後の種牛は「保護」や「管理」や「飼育」の状態やその主をどう判断するかはともかく、「無主物」だろう。

無主物となった種牛(動産)の扱いは民法の定めに沿って、県が所有することができる。
民法
第二百三十九条  所有者のない動産は、所有の意思をもって占有することによって、その所有権を取得する。
さて、すると、移動制限解除のための確認の直前に、種牛を所有する農家は所有権を放棄することができる。放棄の手続きと時刻の証明を含めて公的に証明するためには、公証人に現場に来て公証してもらえば良いだろう。公証役場は県の管轄下ではないので、県の命令で所有権放棄が恣意的に確認されたことにはならない。

家伝法に言う、家畜の所有者や管理者がいない無主物たる種牛は、移動制限解除のための確認要件事項には含み得ないから、日付の変更時に家畜の移動制限解除できる。家畜の移動制限解除後に、県が所有の意思をもって占有すれば、県のものになる。

牛の個体識別のための情報の管理及び伝達に関する特別措置法の「変更の届出」手続きは必要であろう。
第12条 前条に規定する場合のほか、牛個体識別台帳に記録されている事項に変更があったときは、当該牛の管理者は、遅滞なく、農林水産省令で定めるところにより、その旨を農林水産大臣に届け出なければならない。
所有権の放棄の際や、新たな所有の届出については規定がないが、「譲渡し等及び譲受け等の届出」の「等」に含まれると解されるだろう。
第11条 牛の管理者又は輸入者は、牛の譲渡し等をしたときは、遅滞なく、農林水産省令で定めるところにより、当該牛の個体識別番号、譲渡し等の相手方の氏名又は名称及び当該譲渡し等の年月日その他農林水産省令で定める事項を農林水産大臣に届け出なければならない。
2 前項の規定により牛の譲受け等をした者(第13条第2項のと畜者及び同条第3項の輸出者を除く。)は、遅滞なく、農林水産省令で定めるところにより、その氏名又は名称及び住所、当該牛の個体識別番号、譲受け等の相手方の氏名又は名称及び当該譲受け等の年月日、飼養施設の所在地その他農林水産省令で定める事項を農林水産大臣に届け出なければならない。


「悪法も法なり」と言うようなヤツはだいたい頭が悪い。思考停止するための言い訳としてそれをいう。頭の悪いやつ向けを想定して、悪法の悪法たるところを考察した。くどいが、「考察しただけで、これの実践を勧めるわけでない」。これはブログの説明にも書いたとおり。

2010/07/13(火)伝統

伝統を本当に大切にしてる人は、アカの他人に伝統を強制したりしない。伝統を誰かれ構わず他人に強制しようという人に、伝統の何たるかを知ってる人はいない。

2010/07/12(月)目標設定

リーダーが目的や目標を示さなければ、何事も成されない。目標設定こそ組織の死活を決めることであるからリーダーにとっては目標設定は非常に重要な事柄だ。

何を目標にするのか考えるにあたっては、注意すべきことがらがいくつかあろう。例えば人と競り合う、あるいは戦う事柄については、相手と同じ土俵に乗らないようにする事を心がけたほうがよい。相手と同じゴールを目指す場合、それが達成できないリスクが高いのだ。

単純に「勝負に勝つ」ことを目標にしたい場合でも、哲学をどうするかは問題だ。ここで言う哲学とは、正々堂々とか、共有されているルールをどこの線まで(余裕を持って)守るかとか、評価指標を何にとるか、ということだ。独自ルールと言い換えてもよい。この哲学設定を相手と変えることによって、相手と同じ土俵に立たずに、しかし競うことができる。そして、万一共有ルール上で負けたとしても、勝負哲学上では勝つことも可能となる。互いに独自の哲学で、同じ土俵に乗らずに勝負すれば、両者が勝者となることも可能なわけだ。

こうしたそれぞれの哲学を考慮に入れて「戦い」を見ると、競っている者同士は確かに共有ルール上で互いに打ち負かし合いをしているけれども、同時にそれぞれが自分の哲学上の目標達成を賭けて自分と戦っている様も見てとれる。

こうした独自哲学は、より確率の高い「勝利」をもたらしてくれるが、同時に「勝利の形の制限」ももたらす。哲学による独自目標を設定したとたん、勝利も敗北もその最終形は一定の想定された範囲内に収まってしまい、真に自由な哲学発達は得られない。いや、難しく言うのをやめれば、要するに想定外の結果(果実)がもたらされるうる自由闊達な活動は無くなるということだ。

芸術や研究は、目的・目標が仮ででも設定されてないとモチベーション不足で大抵行き詰ってしまうが、目的や目標からふみはずしてしまうことを制限していては何も生まれない。目標からはずれて邁進する何かが舞い降りたときこそ、新しいものが生まれるのだ。

2010/07/11(日)選挙予想

投票時間が終わり、投票箱が閉じられた瞬間、まだ一票も開票作業されていないうちから、マスメディア各社から当確が発表され、候補者は勝利宣言する。この「当確」判断は主として出口調査の結果を基になされているようだ。

母数が大きい事象の統計分析については、母数に対するサンプリング数の割合がとても小さくても十分精度の高い分析ができる。過去のデータから予想と開票結果の誤差や、地域傾向なども掴めているようだから、開票0%で「当確」は本当に確実にできるのだろう。

さて、開票結果なしでも出口調査だけからこれほど高い精度で予想できてしまうのだから、選挙事前調査結果からの予想の精度もそれほど遜色ないに違いない。もう、選挙事前調査結果からの予想を見せつけられた段階で、結果の大勢は判断は十分な確度でできてしまうはずだ。その段階では、まだ選挙戦が続いているはずの候補者には残酷極まりない話だ。

実際の投票行動についてのブレ要因は主として天気ではないだろうか。そのうち、穏やかな晴れの場合、投票時間中総量5mmの雨の場合などと典型的な天気毎の予想を出してくるところがあっても不思議ではない。

投票前の「選挙戦」というのがあって、その選挙中に優勢・劣勢があったり、逆転が伝えられたりするのが、かつては不思議で仕方がなかったが、こうした調査と予想が刻刻となされる状況においては、なるほど投票前が戦いで、投票の際には実質的に結果は出てるものなのだとようやく感覚的にも理解するようになった。

選挙の度に、投票行動の意義があるのかという点については悩むし、政治に自分の意見を届ける手段のなさに、絶望感を感じる。民主主義を信じるとしても、選挙という制度を、人々の「十分考えつくした結果の意見」を政治に届ける仕組に繋げる方法を考えなければいけないはずなのだが、未だに何の「マシなシステム」も思い浮かばないままでいる。

2010/07/11(日)ブログ開始

かねがね、ツイッターよりブログに向いているとは言われていたが、ようやくブログを始めることにした。とはいうもののの、気負いこんで始めたことが継続できたためしがないので、最初はツイッターへの呟きのような感じで始めようと思う。